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幼少期のオトモダチ

こんばんは。
今日は自分の幼少期のことを
思い出しながら書いていきます。

私は3年保育の私立幼稚園に通ってた。
幼稚園~小3くらいまでは
記憶もまばら。(みんなそうだよね)

自分が”お友達”を意識し始めたのは
多分小3か小4のころ。
大体このくらいの年齢って他者と
比べたり意識し始める時期らしいので
成長過程で考えても自然なことかな、と。

私の場合、2歳上に双子の兄がいるから
家にいても遊び相手がいる。
母も専業主婦だったから家に帰れば
誰かしら自分の相手をしてくれるし
一人遊びも好きだった。

幼稚園の頃は同じバスの子たち(同い年)が
お兄ちゃん、お姉ちゃんタイプの子たちで。
いつも彼らに引っ張ってもらって過ごしてた。

友達づくりなんて年齢的にも意識しないし、
”オトモダチ”の概念すら分かってなかった。

毎日、幼稚園に行く、バスで○○ちゃんと会う、
その流れで1日一緒に過ごして、
また同じメンバーとバスに乗って帰る。
私は特にそこに対して何とも思ってなかった。

同じバスの○○ちゃん、○○くん、が休んでも
心細くないしクラスでは流れで誰かと一緒に
遊ぶし、1人でも平気だから特定の
仲良しがいたわけでもない。(多分)
でも、何も不自由してなかった。

家に帰ればお兄ちゃんがいて。
家の中でお兄ちゃんやお母さんと遊ぶのも
好きだったから、満足してた。

当時は父親の仕事関係の社宅みたいなとこに
住んでたから、同年代の子どももいたんだけど
そこに引っ越してくる前に通ってた幼稚園に
引っ越し後も通い続けたから家の近所の
子どもと遊ぶこともなかった。

小学校に上がっても、幼稚園バスで一緒だった
○○ちゃんと○○くんは同じ小学校。
クラスは離れたけど、同じ社宅に住んでる女の子と
同じクラスで席も前後だった。

で、またその彼女がしっかり者で。
小学校に上がってもリードしてくれる子が
身近にいたので何も不自由せず。
登校~下校までずっと一緒。

その彼女が小1の1学期で転校してしまった。
でも、特に心細くもなくて←
下校班が同じ女の子がいて、彼女とはプールの
習い事も一緒だったので流れでその子と
過ごすことが多かったかな。
あとは席が近い子。

年齢的にも、グループみたいなのもなくて
私はまだ”オトモダチ”が何なのかを理解
していなかったから1人でも平気だった。

何より、家で過ごす時間が私はすごく好きで。
お兄ちゃんたちとは殴り合いとか掴み合いの
えげつない喧嘩もかなりしてきてるけど(苦笑)
少なくとも私はお兄ちゃんたちが大好きだったし
(お兄ちゃんたちがどう思ってたかは知らぬw)
両親の事も大好きだった。

オトモダチと遊ぶより兄弟で遊んでたり
1人で遊んだり、お母さんと一緒に
過ごしてる方が私は楽しかったし好きだった。

だから友達づくりとか、友達はいた方が良い、
みたいな考えが私には全くなかった。笑
オトモダチがいなくても、兄妹と親がいたら
私は十分だったから。

決して強がって、大人ぶって、斜に構えて
そう思ってたわけじゃなくて心の底から
そう思ってた。

正直、大学生になってもお友達との
飲み会に行くより家で家族と過ごしてる方が
好きだなって思ってることは何度もあったし。笑

そんな、家族大好き人間の私は
小3か小4くらいまで
”オトモダチ”って存在を
意識したことが無かった。

多分、それくらいの時に
一緒にいた子が、親に
”新しい友達はできたの?”って
聞かれたって話を私にしてきたんだよね。
そしたら私も自分の親から似たような
話をされたんだよね。

そのときに
”トモダチってつくった方がいいんだ?”
って意識するようになった。←

でも、トモダチのつくりかたが分からなくて
てか、どうなったら”トモダチ”なの?、とか。
軽くパニック。笑

当時、社宅に引っ越してきた女の子がいたから
初めて”おともだちになってくれる?”って言った。
”いいよ”って返ってきたときの達成感(?)は
いまでも覚えてる。←告白かw

でも、そんな風に言ったのはそれっきり。
その後は特に口約束みたいなのを交わすこともなく
ただ流れで毎日この子と一緒にいる、って感じで
友人関係を築いていたような。。。
(今でもそんな感じだし、それ普通かw)

私はつい1年前くらいまで
長男に対して
”この子にオトモダチができるといいな”
って思ってた。

これだけオトモダチへの興味関心が
薄くて、オトモダチがいる、いない、で
不自由がない幼少期を過ごした私が。笑
長い歳月をかけたら
別人のような思考になるんだね。爆笑

でも”オトモダチできるといいな”って
思いは、私自身が長い歳月の中で
友達によって良い思いをした結果
であって、逆もまたしかり、だけど
友達って存在は良いって思う
自分に偽りはないし
純粋に思ったこと。

でも我が長男は積極的なタイプじゃないし
言葉もちょっと苦手っぽいし
幼稚園生活の様子をコソっと見たこともあるけど
年中までは基本的に一人遊びしてた。

その姿をみて、何度も落ち込み、心配してた。
でも、今なら長男の気持ちが手に取るように分かる。

だって、前述したとおり。
兄妹と過ごすのが好き、トモダチの概念も理解してない、
他者を意識することも無い、1人遊びも好き・・・
長男と私の幼少期はきっと似ている。

そして昔も今も、長男を見てると毎日楽しそう。
彼を見てる限り、なにも不自由は無さそう。
私が勝手に”トモダチのいない不自由な子”
ってゆう目でみていただけで、本人はどこ吹く風。

私も、”不自由な子”にサレた側だったのかもね。
その証拠が、我が子を”不自由な子”にシてるでしょ。

だからね、このタイミングで気づけて良かった。
これから成長して色んな事を理解していく過程で
”ぼくは不自由なんだ”って彼が思ってしまったら
この先めちゃめちゃ厄介だと思うのよ。

面倒なことは避けたい、とかそーゆうのじゃなくて。
これは子どもの自己肯定感とか自己価値に
つながる事でもあるとおもってるから。

早く気づけたから良くて、遅かったら手遅れ、
ってことは無く、生きてるうちに
気づけて良かった、そう思ってる。

自分と向き合って、幼少期のこと思い出していくと
我が子との関わり方が本当に変化していくな、と
現在、身をもって感じている次第です。

自分のことは都合よく忘れてたり
都合よく記憶を書き換えてたりさ・・・
そのくせ目の前の我が子にはアレやコレやと
文句言ったり監視したり😂😂😂
逆に言えば、文句や監視したくなるのは
自分と似てるが故、かもしれないね。

そんなわけで。
私はこれからも我が子たちを見ながら
自分が蓋してきたことやコンプレックスと
向き合っていこうと思います。

今日も長いことお付き合いくださり
ありがとうございました🙏💕








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