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変化することを選んだ

いつも身近に死を感じていた


小学1年生の時、父が癌で他界した
父はまだ34歳だった
父方が癌家系なんだよ、とよく聞かされた
大すきだったひいおばあちゃんも
同級生の男の子も
近所の女の子も
ニュースで報道される事故や事件に巻き込まれる人も

私事、他人事、関係なかった
じわじわと寄ってきてはいつもそばにある
人、もの、記憶、を失う”お別れ”に出会った時
どうしても折り合いがつけられず苦しみながら過ごしてきた
そして、いつからか20代前半で死んでしまうんだと思いながら過ごすようになる

今は健康でもきっとこの家系の運命から逃れられるまい、20代前半には死ぬであろう
すぐに死ななくても、若いうちに記憶がなくなる
という自分でもどこからきたのか分からない思い込みが生まれていて
その思い込みが気力を奪いやる気を削ぎ
いつの間にかがんばることをやめていた

何か自分の大切なものに出会い、がんばりたいものに出会い、これからだって時に全てを奪われるなんて考えただけでゾッとする
実を結ぶ前に枯れる
なんだったんだって、考えただけで苦しい
手放したくないと思う前に手放し、いろんなことを諦めて過ごしてきた
”お別れ”がきて苦しくなってしまうのなら何にも出会いたくないと思っていた

自分自身に諦めた日々は心の動かないつまらないものだった
本気で向き合うこともないからいつも自分の居場所はそこにはなく
出会いたい、出会いたくない、がずっと同じ力で引っ張り合い1ミリもその 「何も生まれない場所」から動くことができなかった



生きるってなんなんだろう


就職をきっかけに地元から離れ、社会に出て、すべての行動の決定権と責任が自分にあり自由なんだと実感しはじめた時
ひとまず今、あの時にあれを選択すればどうなっていたんだろう…そうやって死ぬ前に思い出さなくてすむ時間を生きよう
そう思うようになっていた
そして特別努力もしてこなかったから失いたくないものなどなかった

やってみたいことをする
大すきなカフェで働きたい
こんな私にもよくしてくれた人たちの役に立ち感謝の気持ちを伝えたい
日本以外に住んで働いてみたい
日本じゃない場所を旅行したい
おいしい賄い食べたい
バイクで走る仕事がしたい
憧れのホテルで働きたい
お花屋さんで働きたい
覚悟以外何も持っていない今の私のスキルでもフットワークの軽さで経験を積み重ねることで、行動力を買ってもらい興味を持ってもらい運良く
やりたいことはほとんどできた

やってみたいことをする中で出会う人やもの、それぞれの歴史に触れる、自分の価値観が変わっていく
想像では絶対に追いつくことのできない経験、現実、感情を体感する
実行した後悔より、実行しなかった後悔を残さないように
毎日を生きながら選び、選んだ道を生きる覚悟
”実を結ぶ” だけが人生の全てではないことにやっと気付く

やりたいことだけやっても細かくフォーカスすれば嫌なことだってしんどいことだっていくらでもある
それがあるからこそ『自分』のすきとかきらいとかしあわせに気付くことができた
そしてその 「いいこと」 も 「わるいこと」 も時の流れで変わっていく
それは自分も時代も人も変化していく中で
状況も見える角度も捉え方も徐々に変化していくからだ
当然のことだった
それが生きているということだった

そしてそれはかつて苦しんだ”お別れ”への折り合いだった

変化こそ生きている証拠だと

今も日々自分の選択を生きる

”あの選択をしたから”
今までにそんな風に人生を大きく変えたと思える一手はなかった
ただ日々の中の小さな選択が今の自分をここまで導いた、それだけで
華やかなものでも壮絶なものでも大したものでもなく
ただ、もし言えるとするなら
自ら、生きようと思った瞬間
”過ごす” から ”生きる” への変化がその選択だったのかもしれない



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