見出し画像

バトンタッチ

 私の体は父と母から受け継がれたものである。
 父と母の体はそれぞれの祖父と祖母から受け継がれたもので、それぞれの祖父と祖母の体はまた、それぞれの曽祖父と曾祖母から受け継がれたもので……と、その先を考えていくと数え切れないご先祖様たちから受け継がれ、今の時代を生きる私の体が作られていることになる。
 昔に生きたご先祖様が、それぞれ子供を産んでただ遺伝子を受け継ぐだけでなく、世話をして子供を育て上げる。育てられた子供が大人になり自立していく。その時代の中で親のご先祖様は年老いて隠居して余生を送り死んでいく。そのご先祖様の子もまた子供を作り育て上げる。何代も何十代も繰り返し受け継がれてきた先が今の時代。そのサイクルの中で私が生まれたことになる。
 それは生物として当然のことなのかもしれない。しかし改めて考えてみると壮大なことであり感慨も深くなる。
 私の手や足、鏡に映る顔……全部が全部私のオリジナルではなくたくさんのご先祖様たちの遺伝子が受け継がれて成り立っていると思うと遺伝の偉大さを感じる。
 託されたバトンがどこから始まったのか、どこまで続くのか誰も知らずにやっている。全てが本能という言葉で解決されてしまう。
 今生きている私が子供を作れば、その子に私を加えたご先祖様たちからのバトンを託すことはできるが子供を作らなければ私の代で遺伝子の受け継ぎは終わってしまう。
 きっと、長い年月の間で、バトンを託せずに終わってしまった人たちもたくさんいるだろう。
 しかし、それは悪いことなんかではない。そこがご先祖様たちから受け継がれたバトンのゴール地点なのだから。子供がいなければ、その人がアンカーの役目であったということだ。
 陸上競技のリレーならば、アンカーは堂々と精一杯走り切り、自信をもってゴールラインを踏むことでバトンを渡してくれた前走者たちも報われる。人生のリレーは順位やタイム等、余分なことを気にしなくていい。負の気持ちも抱くことなく、颯爽と自分の与えられた区間を駆け抜けて迷うことなくゴールする。前走者だったご先祖様たちもゴール付近で見守ってくれているだろう。
 ゴールした後、私にバトンを託してくれたご先祖様たちに伝える感謝の言葉として何が妥当なのかはまだ決められません。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?