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トイレとセルフレジ

セルフレジ。
便利だと思う。
だが、一つのレジに一つのセルフレジでは意味がない。せめてもう一台欲しい。

次の人が、パン一個だけのときの店員と客からのプレッシャーたるや。じっとり一挙手一投足見られている視線を感じてのお会計。とても気まずい。


何社くらいがセルフレジを作っているのだろう。このまま、それぞれの会社が他社と協調することなく独自性を強めて開発していけば、トイレと同じ道をたどってしまう。待っているのは、ただただ利用者が不便なカオス状態。

今は黎明期なので、様々なタイプが混在している状態だ。これが、使いづらさに拍車をかけている。使い慣れていないタイプにお目にかかると、手が止まってしまう。

紙幣と硬貨を入れる場所、お札の向き、お釣りの場所は全メーカー統一のルールが欲しい。最低限、お金を入れる場所、お釣りの場所の色は共通でお願いしたい。

どんな機種でも、誰でもすぐ使えるように場所の固定と色分けは必須に思う。


分かりにくいものは、トイレだけで十分。

トイレはデザイン性ばかりを求めて、分かりづらいものが本当に多い。近頃のトイレは、どこがドアなのか一瞬では分からないものもある。男女の区別すら分かりにくくなっている。

外のトイレにフタは必要なのか。
フタが閉まっているトイレは、フタを開けた瞬間、前の人の残留物と「こんにちは」する確率が高い。

フタが閉まっているトイレは、私の危険センサーが感知する。フタが開いていて、あけっぴろげな「ようこそ」のトイレを選ぶが、たまに全てのトイレのフタが閉まっているときがある。そのような時はそれぞれ個室の綺麗さを観察した上で、毎回、恐る恐るフタを持ち上げる。フタに触れる面積を最大限減らすようにして。

外のトイレのフタを触りたくない。
金運アップにはトイレのフタを閉めた方がいいと、さんざんテレビで流されてから、外のトイレでも閉まっていることが多くなった。


流す場所がどこだか分からない。
だから、流さずにやむを得ず出てしまう人がいる。

今もそうか分からないが、イタリアのトイレはどこも背面に大きなパネルがあり、それを押せば水が流れるので迷うことがなかった。

日本のトイレは、レバーがタンクの下に付きだした頃から迷走を始め(今では暴走に近いが)、用を足す前に必ず流す位置を確認する癖がついてしまった。

昔に、何度か確認をせずトイレに入ってしまったため流す場所が分からず、泣きそうになりながら探したことがあるからだ。

また、外のトイレにウォシュレットは必要ない。ウォシュレットがあるから、たくさんのボタンが必要になる。

外で使う人は、自分で掃除したことがあるのだろうか。ものによっては、ノズルに便ががっつりつくということを知っているのだろうか。デリケートな部分に、他人様の便塗れの水が噴射されているかもしれない。マイウォシュレットがない限り、家でも外でも私には使う勇気はない。


次に、洗面台の洗面ボウル。
周りは水浸しで、本当に汚い。
掃除をしたことのない人か、もしくはやたらときれい好きな人のデザインだろうとテレビで見た時に思った。

日常的に掃除をする身からすれば、無謀なデザイン。几帳面なほどの綺麗好きな人でない限り、きれいに使うことは出来ない。洗面ボウルは、水を飛ばさないことに意識が向きすぎてしまい、窮屈すぎる。手を振って水を切るわけではないが、それでも細心の注意が必要になる。

工業デザインとは、美しさのほかに使いやすさも追及するものとばかり思っていた。

使い勝手よりも、デザイン、美しさを追求してしまう今のトイレには、いささかうんざりしてしまう。

トイレはトイレ。
排泄することが真の目的。

華美な美しさはいらない、シンプルで分かりやすいトイレであってほしい。


付加価値ばかりを追求するのは、もうおしまい。シンプルな美しさこそが、もっとも美しい。

そして、誰でもすぐに分かること。

タンク横のレバーでいい。
パネルにするのであれば、流すボタンは大きく、そして赤。ウォシュレットは使いたい人だけが使うものなので、どうでもよい。

公共性の高いものに関しては、各社協議してルールを作ってほしい。

分かりやすさが一番。

便利さの追求が、不便さをもたらしている。

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