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変化は徐々に

今年の4月に小学1年生になる予定の、最近の子どもを観ていると、本当に徐々に成長して変化していっているなあとつくづく感じます。

私たちは何かと成長や変化、要するに結果を急ぎ求めますが、物事や成長といったものには、それぞれやはり必要な時間がありますね。
待つこと、待てること、大事だなと感じます。

先日から、子どもが1人で自分のベッドへ行って、1人で眠りにつき出しました。
以前は一緒に布団に入って、絵本など読んで、眠りについていたんです。

成長って嬉しいですけど、寂しいものでもあるんですよね。
昨日まで1人でできなかったことが1人でできるようになり、それを促し応援していて、できていくことを喜びつつも、寂しいなんて心が生じるんですよね〜。

かと思うと、自分でできていたことを、できないからしてほしいと甘えてみたりと、今の季節の暖かい気候と寒い気候を繰り返しながら徐々に暖かい春になっていくように、少しずつ少しずつ揺らぎながら変化していく様子を観察しています。

そんな時、自分の心の中のことですが。
ただ寂しい心になってしまわないように、また、ただ成長を喜ぶ心だけにもなってしまわないように、気づきと慈しみに助けられつつ、共に生活する時間を大切に過ごしていくこと、大事だなあと思いました。

子どもに慈しみを向けられる時は、自分自身にも慈しみを向けられている、そんな感じもしています。
だから逆もあるんですよね。子どもについ厳しくし過ぎてしまう時は、自分自身を許せていない時、そんなふうに感じることもあるんです。
家族は、私に気づき(心理学的な)を与えてくれる存在です。

色々と外側のことに気を取られて、ついつい内側(自分自身)を忘れてしまいがちですが、いつでも気づき(サティ)と慈しみで、自分自身に戻れるように訓練していくことは、本当に大事だなと日々感じてます。
幾度も幾度も毎日毎日毎瞬間のように訓練していくんですね〜。

子どもって大変な執着の対象ですね。
日々感じます。これを手放すことは難しいことだと思いますね。
でも1番の執着の対象は自分自身だと感じます。
ここが手放せていけるように、訓練する必要があるんですよね。
ここがある程度手放せていくと、子どもへの執着もゆるみ始めますね。

この訓練はまさに私が死んでいかなければならない時に、特に役立つのだとそう思います。(急に仏教)
私たちは揺らぎながら徐々に死に向かって生きているんですもんね。
そしていつ死ぬかわからない、不確実な生を生きている。生かされている、ですね。
このことを土台に置く時は、人を責める気にも批判する気にもならなくなります。
いつでも私は放逸に生きているからこそ、貪欲になり怒りになり無知な存在になり、この私としがみついている気がしますね。

テーラワーダ仏教のご法話では、手放す練習、手放す訓練と、よく聞くのですが。。
手放そう、手放そう、と私も最初の頃は、挑戦していたのですが、なんか違うんですよね。
それはきっと、コントロールしようとしていたんだと思います。
心はコントロールできないのだと途中で気づかされました。
頑張ってコントロールできるのは、身体と口。
これが戒で、土台です。これだけでも大変なことです。
あ、この身体と口をコントロールすることは、要するに子育てで言うところの、躾、になると思うのです。

この躾をしていく上で、大事なと言いますか、実体験での実感がありました。
子どもの心が喜んでいる時、子どもは自分から善きこと(親が教えること)を行います。
私たちはどうしても、よき事を行うことを教えることに注視しがちなのですが、この、子どもの心を喜ばせること、の方にもっと目がいくといいんだろうなと思いました。

子どもの心が喜んでいる時、元気だなあとか、イキイキしていると感じる時ってどんな時かというと。最近ですと、
公園や自然の中で思いきり走り回って遊んでいる時。
好きな絵を描いたり、工作をして、自分自身の心を正直に素直に表現できている時。
それらを微笑ましい感じで親から見守られている時。

これらの体験の後、びっくりするくらい子どもは能動的で、普段親がやって欲しいと思っていることを自分からやりだしたりしました。

ご褒美や物を与えたり、褒めたりすることも、心を喜ばせることですが、物理的欲求を満たす喜びは、あまり長続きしないと言いますか、エネルギーが少ない気がしてます。
あと褒めるって、結局ジャッジすることなんですよね。善い悪いのジャッジの中で生きることは、本来人間にとっては辛いことなんだろうなと感じます。それでも人間はルールの中で生きていく必要がありますし、それができる生き物でしょうと思います。

ルールを守ることの中で、心を自由にしていられる時間や空間を確保できていることと、それを親が見守っている(あるいは認めている)という安心感があること、これが大事なことっぽいなと、改めて実体験の中で感じることができました。
これが心理学的にいうと、自己肯定感になっていくんだろうなと思いました。
これが心の土台で、これから小学校に行って自ら学ぶ、という助けになっていくんだろうかなあと、なんとなく思いましたね。

でもこれって、子どもだけに限りませんね。
心の法則みたいなものなので、大人も、心を自由にしている時間や空間を確保すること(自然に触れ合ったりとか、身体を思いっきり動かしたりとか、趣味をやったり、瞑想なども)、そういう自分を自分自身で認めていること、で、心を喜ばせて元気や意欲につなげられると思いました。

変化は少しずつですが。
でも確実に変化していきますね。


生きとし生けるものが幸せでありますように

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