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ジェンダー論

 昨今、やたらとジェンダーという言葉を耳にするようになった。しかし、どことなくしっくりこない。なにか押し付けがましい印象がある。性差はあるのが当然。男性だからやり易いこと、女性だから輝ける場所がある。これを軽視しているように思えるのだ。
 一般的に男性は目標(結果)に向かって進む能力を有する。女性は目的の達成よりもその過程を大切にする。これは古より男性はまず食料を確保しなけばならず、女性たちは井戸端で会話をしながら協働で子を育てる必要があったからだ。日本の多くの会社や組織は売上なり、事業なり何かしらの目標に向かって走っている。そして従業員にもこれを求める。このとき男性は井戸端で話をしていると先を越されてしまう。なので一直線に目標に向かって動く。
 女性は一般的に感情で動く傾向がある。そして、その感情は月一度起こる体の変調によりバラツキがある。この感情が過度に仕事に持ち込まれ周りの者が右往左往する事例もしばしば聞く。それが会社や組織のあちこちで起こると目標達成が危ぶまれる。昨今、会社や組織によっては業務の男女差を無くす動きがある。極端な例では従業員数を男女半々にせよ命令がある。これはやり過ぎである。たしかに一定数の女性がいた方が良い場面はある。しかし、闇雲に男女半々にした場合、効率性や生産性が低下する可能性は否めない。それを肌感覚で知っている上層部も多いのではないだろうか(決して言わないが)。
 女性には長所が沢山ある。例えば女性は男性社会の場を和やかにすることが出来る。また、根気が必要な作業を真面目にコツコツとこなすことが出来る。また、一般的に美的センスも男性より優れている。共感力も高い。このような特徴はサービス業や製造作業、美容・インテリア業などに向いている。問題はこのような業種は往々にして給与が低いことだ。男性優位の業種と同じような対価を払うべきである。
 会社や組織は業種により、このような女性の優位な特徴や役割を理解し、その他の男女共通の能力も評価しつつ採用を検討すべきである。だが男女比を半々にせよという欧米諸国のやり方をフォローする必要など決してない。
 国によっても男女の役割は異なるし、人種やコミュニティ、個人によっても男女観に違いがある。特定の男女観がその地域の秩序を保っている側面もある。社会はこれを受け入れるべきである。そして、出来るだけ多くの人の意見を聞き、それを政策に反映すべきである。それが本来の多様性の尊重といえよう。
 世界で統一の男女観にしようとしているのが現代である。しかし、それとは反対に男女の性差を認めた上で、お互いの性を心から尊重し、行動できる社会の構築と心の余裕が必要である。
 


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