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夢の中の夕食


死後、君の膣を唐揚げにして食べるという約束を交わした。
蝸牛が交尾するように交差した小指は、少しの力を加えると、ほどけそうなほどに情けない。
その瞬間の熱だけを大事にした、刹那的に忘れ去られていく口約束だと思っていた。

壊れたチャイムの乾いた音が部屋を走る。
「宅配便ですー」
スズメの声をよそに扉を挟んだ抑揚のない機械的な声に目を開くと、視力を失った電球が無情な瞳でわたしを見つめていた。
ここが現実だと判断できたのは、ドア越しの声ではなくカーテンの隙間からどろどろとした朝焼けか夕焼けかの橙色がなだれ込んでいたおかげだろう。
まだ半分夢の中の脳は夕焼けだと思いたかった。
視界に映った窓辺の水槽の中は、想い出すらもが泳がなくなっていた。淀んだ水は夕焼けを透過しないのだと、まるでその空間だけ、朝焼けが迷い込んできたかのような錯覚を覚える。なにもない水槽に送られ続ける空気の泡を眺めながら過去を反芻していた。やっぱり、この音が落ち着く。
2回目のノック音で再び現実に引き戻されると、肺にどっぷりと空気を溜めて、憂鬱を口から吐き出して、ゆっくりと身体を起こした。
じんわりと染み込むように昨夜の薬が頭を甘く痺れさせる。重心の安定しない身体は、今が寒いのか暑いのかもわからなかった。
「冷蔵品ですので」
無愛想に荷物の受け取りを済ませて、半開きになったドアをよそに、リビングへ向かった。
ダンボールのほのかな冷たさに、再び、僕は現実に引き戻されたような気がした。
テープの端から端をカッターナイフで滑らせると、手元にひんやりと重たい冷気が伝わる。中には、ぞんざいな扱いにぐしゃぐしゃに丸められた紙袋が入れられていた。所々に赤黒い染みが滲んでいた。痺れた頭は疑問を忘れ、くしゃくしゃに丸まった紙袋を広げた。それが生もので、なんの肉なのか、どういう経緯で送られてきたのか、察することができた。たぶん、そういうことなのだろう。自身の浅はかさを突きつけられるように胸の中には嫉妬心が広がっていた。
消えることを選んだあなたに残された僕は見えない首輪をつけられたみたいだった。
中を覗くと裸の肉片が凍結した血液で紙袋と接着している。この丁寧な梱包からは生前の不器用加減を感じることはできなかった。
割れ物を運ぶように慎重に一歩ずつリビングへ足を運んだ。点滅するキッチンの蛍光灯を見て昨夜からそのままなのだと気づいた。


霜の降りた膣の表面をぬるま湯で解凍し、流れるお湯が赤く染まる頃、ざらざらとした感触が親指の腹に伝わってくる。
水が滴り憂いを帯びた陰毛と眠たげな目のような膣を眺めていると君に見られているようで小っ恥ずかしくなった。片栗粉をポリエチレンの袋に移し、水を切った半解凍の膣を投入する。
上下に振られる世界で、拾った土を巻き上げるように煌めき踊る膣はどこか楽しそうに見えた。
熱した油に優しく浸けると拍手のような音で歓迎される。バチンっと音を立てて開いた小陰唇はまるで彼岸花のようだった。
換気扇の隙間から見える、緞帳が降りるように光を失っていく空に、不安が杞憂に終わっていく。
目線を落として油で泳ぐ君を呆然と眺め、アフガンで包まれる赤子のように、キツネ色のひずんだ君を優しくペーパーで包んだ。


写真を一枚だけ撮ると、躊躇することなく膣の中央部を頬張る。大陰唇は断面が赤黒く決して食欲はそそられないが、牛のハツに似た食感で膣そのものに塩味が効いていて案外悪くなかった。むしろ、ゴムのような弾力の小陰唇に咀嚼が手こずった。
鼻につく尿臭に目を閉じれば、案外食べられないこともないが、人体の一部であるということを意識すると血なまぐさい肉汁に唾液が絡まることが不愉快極まりなく、こみ上げる吐き気と罪悪を押し殺し嚥下しなければいけなかった。
愛した人だからこそ食べられるのだと、割り切れるものだと思っていたがそんな簡単な話ではないようだ。残った者に傷をつけていったあなたのように犬歯で咀嚼し、その膣は残された僕のように口の中で原型を失っていった。
咀嚼する度、明晰な意識の今が過去を弔っていくようだった。もう今更、他人の幸せなど願えないのかもしれない。肉片を吐き出せば元に戻れるだろうかと頭を過ぎったが、最後にあなたを愛した僕として終えることが僕の幸せなのだと窮屈な思考に収まった。あなたからもらった傷は、愛だったはずなのに、あなたの存在が消えていくというだけでそれは、嫉妬にも憎しみにも変わった。
頚椎から伸びる縄の惨い姿を、素性も知らぬ詩人が美化して言葉に残すのだろうか、とうに壊死した私の足にすら蛆のように群がるのだろうか。
物云わぬ君が臓物にぶらさがる糞に溶けるよりも先に、苦しみをここに捨てて、今夜、君に感想の続きを伝えにいこう。


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