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アダルトチルドレンな母との喧嘩。否定しかしない人に潰されない自分の保ち方のヒント。

在宅ワークの私と、出社して仕事をする母。この2人の間には「通勤時間の有無」が違いとして存在しています。

私といえば、パソコンひらけば“出社”。なので、出社に急ぐ母を横目に、優雅に朝からトーストをかじりつつ、読みたい本に没頭していました。ふと時計を見たら仕事が始まる5分前。「やっべ」と思ってパソコン開いて、今日の仕事の準備をしていたら。

母「あんたさ、人が急いでる側で、呑気に朝ごはん食べて、本読まれてたらむかつくと思わんの?」

私「?????」

私からすると、いきなり頭に銀ダライが直撃するくらいの理不尽な一言でした。確かに急いでる時に邪魔されたらむかつく。これはわかる。仕事してる時に、集中したい時にやたらと話しかけられたら、それは妨害されてるわけで。

でもさ、私の場合、朝ごはん食べて、本を読んでただけ。

なんで????

そこからまさかの1時間にわたる、母の言いたいことの大洪水オンパレード。気持ちよく仕事しようとしてる朝イチの一番好きな時間帯を、これで消費させられたのが、本当に本当に癪だし、むかつく。

母の言い分(私バイアス経由なので、めちゃくちゃです)は次の通り。

急いでる人のそばで本読んでたらむかつくやろ。仕事いつから始めるのか行ったこと今まであった?部屋の窓汚いし。掃除機でちょっと掃除したら済む話なのに、めんどくさいってどういうこと?後、中高で学んだはずの家庭科のこと、勉強したやろっていうても「忘れたぁ」って、あんたを何のために私立に入れたと思ってんの?しかも洗面台の使い方汚いし。ドライヤーで乾かした後は流しに髪の毛落ちてるし、後風呂入ったあとなんか、シャワーの一時的に止める栓は閉めてても、元栓閉めてないし。歯のフロスしたら、鏡には歯垢飛んでてめっちゃ汚いし。食器洗ってもそうやん、茶渋とか着きっぱなしでも平気やろ。

ここまでの話を聞いて、一つ思い出したことがありました。

男性は「1つの出来事に」対して怒る。
女性は「出来事が積み重なってきた時に」怒る。

めちゃくちゃ説教くらってるはずなのに、脳内でなぜかアハ体験に遭遇した私は、謎の満足感でこれはこういうことか…!と感動して、いました。

が、その直後に

母「あんた毎日まいにち体重計乗ってるけど、何の意味あんの?太っとるやんけ!」

この1年在宅ワークで運動量は激減。筋力落ちてるし、体重も増え気味なのに年末年始は食っては寝てな日々。自分でもわかってる(あと母の言い分の水回りの扱いが汚いのは自分の不注意さもあったなとちょっと反省した)けど。

この流れでこの言葉は、最高にむかつく。

ので、太った体はこれから何とかします。絶対。むかつくので、見返してやる。倍返し。私の体型の話はさておき。

私が母に対して感じるのは「人をイラつかせる言葉選びがうまい」こと。日常でも、同じ人の部署の話がむかつく、など、基本的に愚痴が多め(たまに買い物でお得に買えた時はその自慢話もあり。それはそれで楽しく聞けてたりします)。

前に上記のnoteで、私なりの「言葉の力」をちらっと書いていたのですが、

やる気が出ない時に、松岡修造さんの「言葉」を聞けば、燃えるような気持ちになるように、言葉には“人を変える”大きな力があると思います。それは行動であったり、その人の考えを変化させることであったり。

日々使う言葉も、ちりつもでじわじわその人を変化させていく要素になり得る。

上記note《「申し訳ないです」社会で出会う《謝る》文化と、自分の変化。》より抜粋

言葉って、大きな力があると思っています。上記の中では「人を勇気づける」例として上げていますが、今回の喧嘩であれば、人をむかつかせる力。母の発する言葉には、日常的にこの力が多く含まれている。かも、と感じています。

少し余談ですが、私は趣味で演劇を少しやっています。その中で気づいたのは、「セリフ(=その人が発する言葉には、その人らしさが出る」つまり、その人の性格、思考、考えが反映されている。

当たり前やん、ってことなのですが、

「その人の性格、思考、考え」が形作られるものって何だと思いますか?

私は幼少期〜20歳ごろまでの環境と経験、だと考えています。

つまり。攻撃性のある言葉を習慣的に発する一つの要因として、
愛情不足の幼少期を過ごしてきたから。叱られることが日常の幼少期を経ているから、自分の身を守ることに異常に執着心がある。その結果として、攻撃性のある言葉で自分を守ろうとしている。

詳細は差し控えますが、母の幼少期は話を聞くだけでも壮絶だなと思います。おそらく、アダルトチルドレンです。

他の家庭の子育て事情を知らないので、私の考えがずれている、かもしれません。でも、今の私なりの考えとしては、愛情不足の環境下で過ごしたからこそ、愛情表現が不得意、自分を守らなければという意識が強いからこそ、攻撃性のある言動が多い、のかなと分析しています。

正直、私の幼少期時代も、褒められたことはほぼありません。叱られる、注意される、何かあれば手が飛んでくる。そんなことが日常でした。なので、ぶっちゃけ自己肯定感ないです。自分よりも問答無用で相手が優れてると感じてしまうし、何か失敗すれば自分の人格を攻撃してしまうので、余計落ち込んでしまう。

でもたまたま好きで始めた演劇を突き詰めていくうちに、「いろんな愛情表現」を知り、母も不器用なりに愛情表現しようとしている、自分を変えようとしているんだなと気づけることがありました。

今では、自分を必要以上に傷つけない考え方を知りたいと思い、いろんな本を読んだり、自分の中でトライアンドエラーを試しているところです。その中で得たのは次の2つ。

1. 何かミスしたら、その“仕組み”を見直す
 ついミスした“本人”を責めちゃうのですが、ミス=思考回路の結果、
 としたら、その思考の方法を見直してみる。
 こう思えるだけで私はストレスが減ったし、立ち直りやすくなりました。
2. 自己肯定感が低い=ネガティブなアンテナが優位
 だからポジティブなアンテナを立てるために、
 まずは「できたこと」を言葉にするのが大事。あとは筋トレと同じで、
 少しずつポジティブなアンテナが立ち上がってきます。

アダルトチルドレンの親がいるから、私はこんなハメに…と思っちゃうのですが、そこはちょっと視点を変えて。「この親だからこそ、得られた私の性格って何だろ?」って考え方もありだと思います。

私の場合だと
・やたらと人のご機嫌うかがっちゃう→時にはいち早く気配りができる
とか、こんな感じです。

正直、“普通の親”だったら、どんなに良かっただろうか。と思ったことも何度もあります。でも、癖がある親だからこそ、人一倍強さを身につけられた。自分から何かを学んで、どうにかする方法が身につけられた。こう思えば、感謝の気持ちが大きいかもしれません。


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