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一瞬だけ自分が出てくる「1984」 2023/02/06の日記

 ウィンストン・スミスは、今日の真理省ミニトゥルーでの仕事を前に地下の食堂に来ていた。普段は自宅で食事をとってから仕事をするのだが、昨日からは隣のパーソンズ家からやけに不穏な雰囲気を感じ取っでいたので、少しでもあの一家から距離を取っておきたかったのだ。ミセス・パーソンズはじきに息子たちから告発され、蒸発させられる。ウィンストンは確信していた。
 キャベツ臭くて酸っぱい臭いが立ち込める地下食堂であったが、家にいるよりかは遥かマシだとウィンストンは考えていた。
 「やぁウィンストン。食堂で朝飯か。君にしちゃ珍しいな。」
ウィンストンの数少ない──少なくともウィンストンはそう記憶している友人、というのも適切ではないだろう。同志、あるいは自分が話しかけるのに抵抗がない人物──サイムが普段会うときよりもやけに気さくに言った。
 「昨日の続きなんだけどね、ニュースピーク辞典の第十一版は再来月までには出版できているはずだ。その暁には僕が破壊した言葉の紹介とともにお茶でもしようじゃないの。」
 ウィンストンはうんざりしていたし、断りたかった。が、そのような素振りはおくびにも出さず、「わかったよ」と軽く頷いた。
 「そう、じゃあ決まりだ。」
 ウィンストンから話すことは何もなかった。ただ、サイムが次に何を言うかはわかっていた。
 「そうだ、これも昨日の続きになるんだが、君、僕に分けられそうなカミソリの替刃を持ってないか?もう一刻の猶予もないほどに僕のカミソリは危機的状態なんだよ。」
 やっぱりだ。
 「僕もさ!今日はこっちが聞きたいほどだよ!」
 ウィンストンは昨日と変わらない調子で言った。事実、ウィンストンはカミソリの替刃を4枚持っていたが、次の替刃の配給に全く見通しがつかない以上、誰かに渡すなんてもってのほかだった。
 「悪かったって。ただ訊いただけさ。」
 「まぁでも、もし創作局で誰が一番カミソリを替えてないかで比べる大会があったなら、間もなく7週間目に入ろうとせん僕が優勝するだろうね。」
 サイムは自嘲気味に言ったが、ウィンストンは笑えなかった。
 「さぁ、どうだろう──」
 ウィンストンの気の抜けた返しは突如として、「ええっ!?」というやけに響く男の声によって遮られた。ふたりがすぐに声の主のもとに目をやるとちょうどそれ・・と目が合い、こちらに向かって歩いてきた。
 その男はウィンストンをはじめとするロンドンの住人には相応しくないほどに背が低く、その身長は、ウィンストンたちの頭一つ分小さかった。顔立ちも随分平坦で、おおよそこのあたりの人間とは思えないものだった。ユーラシアからの者だろうか?いやしかし、今現在オセアニアはユーラシアと戦争中のはずだ──そんな男が何故ここにいるのか?いや、たまたまそういう顔に生まれただけか?──ウィンストンはぐるぐると思考を巡らせたが、それも「7週!?」という男の絶叫に似た声に断ち切られた。
 「カミソリの替刃ってそーゆー頻度で変えるもんなのかい!?てっきり剃れなくなったら変えるもんだと……」
 ウィンストンはほぼ呆然としていたが、サイムは男の声が止むとすかさず、
 「そうかそうか、それじゃあ君、替刃をいくつか持っているんじゃないか?まだ名前すら聞いてない君に無心するのは気恥ずかしいが、こちらはかなり追い詰められていてね。」
 ウィンストンはサイムに目をやった。彼はなかなか鋭い。ただこの鋭さはビッグ・ブラザーが支配する世界ではサイム自身に向いて彼の心臓を貫くことになるのだろう。
 「いや、ないね。僕は父さんのお下がりを今までずっと使い続けているんだよ。」
 男が答えた。ただでさえ朝から気分がよくなかったウィンストンは吐きそうだった。横目に映るサイムも顔色は考えうる限り最悪だった。
 「そうだよなぁ………僕もびっくりしてる。君たちの顔を見ると僕だって今すぐ刃を交換したくなってきたよ。それなのに替刃の配給はないと来た。さて、どうしたものか……」
 しばらくの間、三人の間で静寂が包んだが、刹那、耳をつんざく警笛がテレスクリーンから流れた。午前の仕事の開始の合図だ。三人はすくっと立ち上がり、エレベーターに向かった。


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