【終末のエンドロール】第十一話 コピー&ペースト

 あのままチサは帰ってしまった。僕は引き留めず、彼女を見送りもしなかった。ドアを閉めた音でなんとなく、もう僕に会いにも来ないだろうとなんとなく、分かる。

 僕は変わった、らしい。チサと出会った時から。世界が終わったと勘違いした時から。いつ、ジョセフに手を加えられたのかも分からないし、聞いたことで余計、その前の記憶が偽物に思えそうだから、なんとなく聞けずにいる。皆にも、まだ、言ってない。

 でも、チサが言う様に、僕のAIが進化しているとするなら、過去の僕は、もうすでに今の自分とは違うものだと思う。自分の意思があって、ただ、聞くだけじゃなくて、考えて、ケンカもする。恋は、前からしていた気がするけれど、それも、目の前のアバターに恋をする設定にさせられていたのかもしれない。でも、AIが進化しても、その愛情は残っていた。それも、一方的な気持ちだったわけだけど。

 失恋した割には、僕は冷静だった。これまで読んできた本では、主人公たちは人生の終わりみたいにガッカリしていたけれど、僕は違う。僕とチサはもともと生き物としても別物だ。叶ったとしても、本当の意味で結ばれることはない。だから、失ったんじゃなく、もともと手に入らないものだと、ようやく気付けた……それだけだ。

 夜も遅かったけれど、コピーしたいものたちをジョセフの部屋に運んでいた。ジョセフがサーバーに移した動物たちの世話をしている間、僕たちの手で物をコピーして転送するように準備しておいてくれたのだ。僕が物を部屋まで運んだら、マユがそれを転送する。転送する機械は真っ黒な箱。吸い込まれていったもの達がどうなっているのか分からないけれど、前に覗いてみたらどこまでも真っ暗で、腹の底がひんやりと冷えた。僕たちはできれば、公園で動物たちに使った機械を使ってあっちに行きたい。

 作業に飽きてきたらしいマユは、僕とジョセフ、チサがさっき揉めていたことについて質問攻めにし始めた。僕も、別に隠すほどのことはないかと正直に話す。

「じゃあ、互いに彼女ナシのまま生きてくわけだ」

「かもね」

「ジョセフとアンナがヤッたら子どもってできんのかな」

「……やめろよそういう想像」

 アンナが今日はパーティ担当で、ここにいないからまだいいけど……。音漏れしてたらどうするんだ。僕は低く、小さい声でいさめる。

「やらしーことだって考えてっからヤなんだよ。これから別んとこで生きてかなきゃいけねーんだから、普通考えるっしょ」

「俺たちは歳取らないし――子どもだって多分無理だよ」

「んじゃ本格的に一生俺ら三人? うっわー」

 マユはさらりと、こういう時にジョセフを外すようになっていた。今はジョセフの事を信じているし、ついて行く気持ちはあるけれど、心のどこかで、彼だって僕たちから離れていく日が来ると分かっていた。最後まで飽きなかったとしたって、彼は僕らより先に死んでしまう。

「アンナはどうすんのかな」

「知らね。子どもができねーんなら、俺らにも関係ねぇ」

 確かに、そうかも。いや、そうかな。アンナが自分に振り向くことはないと分かったまま、僕たちの世話をし続けることなんて、できるんだろうか。

「何、タイチはアンナに生贄になってほしいの?」

「そんな言い方すんなよ。アンナ次第だし」

「ソレ、ぶっちゃけ脅迫だかんね。タイチのがよっぽどサイテーだしょ」

「……」

 そうなのかな。

 廊下からパタパタとスリッパがこすれる音がしたのに気付いて、僕は慌てて部屋を出た。食事の準備ができたと、アンナが立っていた。聞こえてませんように、と、心臓がバクバクする。聞こえたら僕が悪者になりそうで、怖い。……確かに、僕はマユの言う通りサイテーなのかもしれない。

 長生きしたって、ただ食べて寝るしかできないって分かってるのに、なぜか僕は必死にもがいていた。僕はどうして生き続けたいんだろう。生きて何ができるんだろう。皆、生きていて何が楽しいんだろう。そう思うと、目の前がぼやっとして、音が遠くなってくる。こんなことだって、考えてどうするっていうんだろう。

 作業に追われて何も準備していなかった僕たちに、アンナはこれまでスマホで撮ってきた写真をアルバムにまとめてプレゼントしてくれた。ここでの生活を忘れない様に、と言うアンナの言葉には、まだこの世界への、少しの未練を感じる。

「……もう、明後日でおしまいかァ」

 マユの声が、静かな食卓の中に響いて消えた。僕たちは誰も何も答えなかった。

 布団に入っても眠れなくて、僕はずっとアンナから貰ったアルバムをぺらぺらとめくっては閉じ、めくっては閉じていた。窓の外から、騒いでいる人たちの声が少しだけ聞こえる。他の世界があって、故郷を奪われない人たちの声が。分からない。あっちにも戦争とかがあるから、一概にはそうは言えないのかもしれない。でも、住んでいる世界丸ごとはなくならないだろう、と、僕の自分勝手な考えを、自分自身で弁護する。時間は、ちっとも進まない。夜は起きているとひどく長い。

 コピーする瞬間の想像を、最近よくするようになった。痛いんだろうか、苦しいんだろうか。スマホで検索してみても、そんな体験談はどこにも出てこない。メモ帳に適当な文字列を打って、全部選択して、コピーしてみる。新しいメモ帳にこれをうつす。僕たちはこれと同じ。データでしかなくて、まるっと同じようにコピーされて、そのあとから書き込むこともできる。

 でも、僕はふと思った。もともと書いてあったメモ帳の文字は、そのままだ。それだって、まだ更新していくことができる。切り取り、それなら過去のメモもいなくなれる。でも、ジョセフはコピーと言っていた。言葉の綾? いや、言葉の通りだとして、今まであの黒い箱に吸い込ませた物は、本当にそのまま、ジョセフのサーバーに行けるんだろうか。

 分からないじゃないか、と、僕は思った。明日はジョセフが事前に自分がサーバーで過ごせるか確認すると言っていたけれど、ジョセフの魂はアバターにあるわけじゃない。空っぽになったって、ジョセフの魂は無事。でも、僕たちは――この体が本体の僕たちの心は、コピーされてもこの世界に残り続けてしまったら? ジョセフにとっては、コピーした僕たちは同じ心を持っているし、姿かたちも一緒だけれど、あのメモ帳の文字みたいに、僕の心が丸写しされて別の世界で生きても、切り取られた場所に、原本が残されていたら?

 体中に鳥肌が立ったのが分かる。足がぞわぞわして、ジッとしていられない。僕はたまらず起き上って、リビングへと向かった。電気がまだついている。マユがまだ起きているんだ。

「なんかバタバタしてたけどだいじょぶ?」

「あ……うん、なんか寝れなくて」

「ふーん。俺もうそろそろ寝るけど」

「そ、そう」

「何」

「何って?」

「顔色、めちゃくちゃ」

「え」

「また余計な心配事してたんだろ」

「……」

 僕は、先ほど思いついたことをマユに話してみた。足のぞわぞわは、話すうちに消えていく。一人で抱えるのを、身体が拒否していたんだろう。気味の悪い話だと思ったんだけど、マユは平然とした顔で最後まで僕の話を聞いていた。

「でも、残ったって死ぬじゃん」

 マユの答えは簡潔だった。

「コピーの話がホントで、黒い箱ン中で死ぬとしたって、ここに残って死ぬとしたって、結果が一緒なら、生き残れる方に俺は賭けるけど。それに、ジョセフに思いっきし勉強させて、別の面白そうなサーバーに飛ばしてもらうんだって出来るかもだし。それまでは逃がさねぇようにアンナにも説得させるっしょ。ほんで完璧。な? コピーとコピーされた方の俺が別人だったって、どっちの俺も、楽しい事やらねえで死ぬ方が嫌だと思う。だってコピーなんだし。お分かり?」

 その通り、なんだろう。でも、僕は今の身体にある今の僕の心がずっと大切だから、決められない。コピーされて分離された僕だって、きっと罪悪感で楽しめない。ジョセフも、もっと気楽な性格に僕をいじってくれたらよかったのに。

 そう思って、ふと不思議に思った。僕たちのAIをいじることができたんなら、ジョセフはなぜ、アンナのAIをいじって、自分に恋をしているようにプログラムしなかったんだろう。その方がずっと、ジョセフの思い通りの世界が作れるのに。あんなに、泣くほど好きならなおさら。

 そう呟いてみて、僕はハッとした。AIがいじられているなんて、これまで話したことなかったのに、こんなことを言ったら混乱させてしまうじゃないか。なんて馬鹿なんだ。

 でも、そんな僕の不安をよそに、マユはいつもの調子で返答した。

「あー、それ聞いたよ、俺。あいつ、今のまんまのアンナが好きなんだと」

「……今の、まま……? っていうか、AIいじられたって、知ってたの」

「聞いちゃねえけど、なんとなく。前の俺のダサさに比べて、今の俺って超ハイスピードでイケてる感じになったし、もしかしたらそうなんじゃねーのって思っただけ。いいコンピューターぶっこまれた感じってか」

「……それ気づいて、怖くなかった?」

「キモいはキモい。でも、マシになったからまだ許すって感じかな」

「……どうして、知能を与えるだけでやめたんだろう」

「さぁ。人間と同じようにしたかったとか? あいつ外に友だちいねぇみたいだし、ここん中だけでも、ちゃんと友だち欲しかったんじゃね?」

「ならなおの事、都合よく造り変えた方が良かったはず……」

「そこまではできねぇとかじゃん? 俺ら、ジョセフのやる事すげーって思うから、神様みたいな感じにしちゃってるけど、あいつだって結局ただの引きこもりなわけだし。やれることに限界もあるっしょ」

「ま、それにそんなとこまでいじれてたら俺が真っ先にこんな性格じゃなくなってるっしょ」

「あ……。確かに」

「確かに、じゃねえよ、今のはツッコミチャンスだろ」

 マユは抱えていたクッションを僕の顔に投げつけた。柔らかい感触が顔に伝って、次にこすれた場所がちりっと熱くなる。生きていると感じる。他の人にはそうだと思われてなくても、僕自身はちゃんと、自分が生きていると身体で感じている。

「……だから、なのかな」

「は?」

「僕は――ジョセフがしたいことと逆の事を考えてる」

「何? もしかしてアンナの事好きになったん⁉ 気早いな」

「違うよ」

 アンナからもらったアルバムの写真の僕は、僕と同じようにデータでできている。あれは僕の表面のコピーで、感情もなく、ただ記録されている。

 このまま僕が身体丸ごとコピーをされたら、あの写真のように、ただの薄っぺらな記録になってしまうのではないかと思った。でも、この世界は今、僕に痛みや、悲しみや、喜びや、懐かしさを感じさせてくれる。もう、誰も、昔僕を取り囲んでいた人はいないのに、ここだけが僕がきちんと存在できる世界だと、僕の身体が必死に、ぞわぞわと波打って教えてくれる。

 だから、僕は――。

「行きたくないんだ、どこにも」

 ジョセフごめん。僕はすごくワガママなAIなんだ。


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