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【終末のエンドロール】第三話 消灯作戦

 消灯作戦は順調だった。街の通りをひとつずつ潰すようにして、ラインマーカーのカラフルな色が地図を埋めていく。なぜだかこの色を塗っている間は、僕たちはずっと一緒に入れるんじゃないかと思っていた。ずっと一緒にいたのに、タイムリミットだって、ずっと前にあると意識させられていたのに、もっと強くそう思う。一瞬一瞬を、忘れちゃいけないと。貰ったノートを超えて、日記の量はみるみる増えていった。横目でそれを見ていた皆が、新しいノートと万年筆のインクをプレゼントしてくれたおかげで、文字になった僕たちの生きた証が積み上げられていく。ジョセフはホームセンターの木材をかき集めて本棚を作ってくれた。ここにみっちりとノートが埋まっていく。それが少し、快感だ。

 何年も経った気がするけれど、僕たちは出会った頃と変わらず、体力もあり余る若者のままでいた。一日に沢山の事をしすぎて日付感覚がマヒしているのは相変わらずだけど、日記の量を見れば分かる。ずっと長い長い時が経っていた。それなのに。これも、人がいなくなったことに起因しているのか? 書店の本にはその答えはどこにもなかった。

「今度、車の運転でもしてみるか」

 マユが通りの向こうの中古車販売の店を指して言った。

「免許ないし、法律違反だよ」

「法律も何も、免許取れる場所も無いし、捕まえる奴らだっていないじゃん」

 そう言ってマユは皆の制止も聞かずにガソリンを車に入れてみたけど、全然動かなかった。バッテリーが上がっているんだとジョセフが気づいて修理はしてくれたけれど、その頃にはマユの興味はすっかり薄れてしまったようで、今でも中古車販売店に残されたままになっている。アレを使って消灯作戦を進めるかジョセフに聞かれたけど、僕は事故ってしまうのが怖くて首を横に振った。ここには警察はいないけれど、僕たちには怪我をした時に助けてくれる病院もないんだ。下手なことはあまりしたくなかった。ずっと一緒にいるためにも。

 三日に一度、自転車を漕いで漕いで、ビルのブレーカーを落としていく。農園の敷地は食料のストックが減ってかなり増やされていた。肉が食べたいけれど、農園に行くには遠すぎるし、ペットショップの動物のことは愛しすぎていた。それに、さあ解体しろって言ったってどうすればいいか分からない。大豆をたくさん栽培してたんぱく質を補填する。アンナが栄養の勉強を始めて、僕たちの体調はすこぶる良くなっていた。むしろ、人間がたくさんいた頃よりも、生きるために行動するのが上手くなっている。

「あと、1回で全部消せるな」

 街を振り返ると、すっかり真っ暗だった。その分、反対側についたままの一列のビルの灯りが眩しく見える。あと一列。空を見上げても、まだなんとなく明るいような気がした。星って、こんなに繊細なものなのかと思う。その夜は皆で家具屋の天井に、おもちゃ屋から取ってきたプラネタリウムの玩具を使って予行演習した。アンナだけは、今見たらもったいないと目をずっと覆っていたけれど、僕たちもそうした方が良かったのかもしれない。でも、なんだかワクワクして、ちょっとでも予告を見たい気持ちでいっぱいだったんだ。

 次の日、僕はなんとなく、皆のベッドのシーツを全て洗った。ずっと掃除していなかった廊下も、数日前に降った雨の水を思い切りまき散らしてモップがけした。目標の街の明かりを消したら、僕の仮のタイムリミットは終わってしまう。勝手な空想だし、僕らがした儀式が成功した! といった感じですべてが終わるとは思えなかったけど、ただ、そうしたかったから。

 それを見て、アンナは僕たち全員の自転車をピカピカに磨いてくれた。ジョセフはいつもより手の込んだ料理を三日分作って、明日からはしばらく料理をしないでいいよう準備した。マユは賞味期限ぎりぎりになったお菓子を一気に持ってきて、全部開けようと言い出した。僕らはすっかりハイだった。お腹を一杯にして、苦しいと逆に不機嫌になるジョセフを笑いながら、初めてベッドを全部くっつけて並んで寝た。皆で見上げる天井は、いつも通り真っ白で、ショッピングモールのこういう所ってつまんないよね、とマユが言ったのに全員で同意した。

 あと二日で目標の電気が消える。朝から僕たちは全ての仕事をサボってみようと決めた。ジョセフだけはこっそり水をあげに行っていたらしいけど。ずっとやりたかったことがあった。ペットショップの動物たちを皆、外で思い切り走らせてみたかったんだ。迷い込んだりしないよう、入念に店の前に網を張って、自動ドアに鍵をかけた。檻から出し、いつもと違ってリードをつけられないのを皆不思議そうにしていたけれど、マユがゴー、と号令を駆けると一斉に駆け出して、そりゃあもう大はしゃぎだった。僕たちは建物の中でフリスビーをしたり、プールをジャブジャブさせたり、一緒になって床で眠った。夕方に起きた頃には体はバキバキで、どこかに一匹でも抜け出しているんじゃと不安になったけど、皆マユにくっつくようにして寝ていた。この前本で読んだ知識によると、動物はいい人を見分ける能力があるとのこと。マユばかりに懐く彼らを見ていると、なんだか眉唾だよねと、ジョセフと笑った。

 バキバキになった体を慣らすために、皆をペットショップに戻した後は全員で電気屋に行ってマッサージ機に座ってみた。これまで全然興味がなかったけど、座ってみるとすごく気持ちがいい。もっと楽しんでおけばよかったと嘆いていると、マユが今日はこれに寝ちゃおうと言い出して揉めた。やりすぎは禁物だって。

「明日だよ、ワクワクして寝れないよ」

 そう皆で言っていたのに、結局、気づかないうちに全員寝ていた。

 今日で目標の電気をすべて消し終わる。星が見れる。残っているのは、一番近いところにあるビルたちだけだった。よく考えたら電線を切ればよかったとマユは言うんだけど、それじゃあ皆が帰った時に困るからと最後までアンナは反対して、僕たちはちゃんとそれに倣った。このマンションは電気系統がバラバラで、一部屋ずつ消さなきゃいけないらしい。今日一日でちゃんと終わるのかとブーブー言うマユを放っておいて、僕たちは各部屋を回って電気を一つずつ消して回った。

 上の方から消していって、あるところでアンナが「いいこと思いついた」と僕たちをマンションから追い出した。いったい何なんだと思って、先に周りのビルの電気を消して下で待っていると、アンナが真ん中の部屋から顔を覗かせた。見て、と言われてマンションをじっと見ていると、電気のついている部屋がまだある。

「もっと視野をひろーく!」

 アンナは、マンションの電気で絵を描いたのだ。ハートのつもりだったのかもしれないけど、計算ミスでなんだかいびつな形だった。こんな遊び、人がいるときじゃできなかったけど、一回テレビで観て憧れてたの! とアンナは嬉しそうだった。いったい誰に向けたハートなんだろうねえ、とマユはジョセフを小突いて、彼はちょっとムッとしていた。顔は真っ赤だったけれど。

「遊び終わったら全部消すぞ!」

 ジョセフが口をとがらせてそう言うのを、ちょっとアンナは不機嫌そうにハイハイ、と受け入れた。二人とも、分かりやすいのに素直じゃないんだ。だって、僕は聞いていたから。洗濯をしている時、アンナが「もし他の人みたいにいつか消えちゃう時が来るとしたら、ジョセフより先に消えたい」って言ってたこと。昼ご飯を一緒に食べてるときに「アンナだけは置いていきたくない」と、ジョセフがボソリと言ったのも。でも、もしかしたら僕たちに気を使っているのかもしれない。二人はそういう人たちだから。だとしたら、最初に消えた方がいいのは僕とマユか。それも、なんだか癪だけど。

 最後の部屋は皆で一部屋ずつ消していった。真っ暗になった部屋で、外に見えるショッピングモールだけがクリスマスケーキのろうそくの様にキラキラと光っていた。ケーキのろうそくを消しに、僕たちは家路についた。

 モールのブレーカーを落としに行く時、僕たちは誰もしゃべらなくなっていた。外にいた時はあんなにずっと話し声が聞こえていたのに、今は僕たちの足音しか聞こえない。一つの目標が達成されることが、こんなに寂しいものだと僕たちは知らなかった。管理室に行って、一晩だけ電気を断つだけなのに、その瞬間全部が一気に消えてしまう気がした。発案者の僕がブレーカーを落とすべきとマユは言ったけど、マユもきっと、同じように思って怖かったんだと思う。最後のスイッチは、これまで切ってきたどのブレーカーよりもずっと重たかった。

 バウン。爆発するみたいな音がして、一気に全ての電気が消えると、僕たちのいる窓のない管理室は真っ暗になって、何も見えなくなった。皆ちゃんといるのか。キョロキョロしていると、温かい手が僕の肩に触れた。もつれるように、皆が折り重なる。ここから出よう。屋上に行くんだ。真っ暗な廊下や階段を伝って、僕たちはいつもよりずっとノロノロと進んでいった。懐中電灯はあってもよかったな、と思ったけど、もう引き返すには進みすぎていた。ああ、屋上のドアが見える。外が明るく感じるのは、あまりにも真っ暗だったから? それとも、消し忘れた電気があったから? 僕たちは救いを求める様に、一気に階段を駆け上がってドアを開けた。目の前に広がる景色は、真っ暗な闇に包まれ、遠くに灯りを見せていた。でも、いつもよりもうんと暗い。

 月が見えた。月の灯りで、一応これほど明るくなるんだ。じゃあ、星は? 僕たちは空を見回すけれど、星は見当たらない。

「まだ明るいのかな。もうちょっと遠くまで消さないとダメ?」

「そんなはずは……せめて一等星とかは見えるはずだよ。だって、普通にしてても金星とかは見えるって本にも……」

 僕たちは目を凝らして空を見つめた。目が悪いせいかと疑いもしたけれど、この生活で目が悪くなるようなものは何もない。どうして? 人だけじゃなく、星も、月だけを残してすべて消えてしまったというのか。おかしい、こんなの、ありえない。

「……星って、見たことあったっけ」

 マユがそう呟いて、僕はハッとした。星……いや、知ってるはずだ。どこで見た。本で。実際には? 小さいころに行ったキャンプとかでは。寝転がって、指をさして語り合った。いや、あれはこの前のプラネタリウムじゃないか。

 僕の頭の中で、何かが壊れていくのを感じる。

「……僕も、見たことない」

 僕の中に、嫌な予感が一つ舞い降りた。この世界は、人だけではなくて、僕たちの記憶も奪っていこうとしているのではないかと。僕たちが忘れさせられたものから、この世界では消えていくのではないかと。

 僕は慌てて家具屋に戻ろうとした。本棚にある日記を読まなくちゃ。忘れたくないことが、きっと書いてある。忘れないうちに、取り込まなくちゃ。焦って足がもつれ、僕は階段から一気に転がり落ちた。痛い。打った場所が熱い。混乱の中で、水の中にいるみたいに皆の声が遠く聞こえた。

 アンナに抱きかかえられ、もう一度屋上に寝かされて見た空には、月だけがぽっかりと浮かんで、他に何も見えない。こんな空だって知るくらいなら、こんなことしなければよかった。僕の頬にぬるい何かが伝うのが分かった。僕を見下ろすマユが、珍しく泣いていた。

 ジョセフが管理室でブレーカーを戻したのに合わせて、僕は家具屋の自分のベッドに運んでもらった。体中の痛みを和らげるために、氷を当ててもらうと、なんだかフワフワした気持ちになってくる。日記を読みたいのに、腕が痛くて動かない。折れてはいなさそうだとジョセフは言った。何で走ったんだと聞かれたけど、それも痛くて、答えられない。どうせなら、さっき気づいたことを世界が忘れさせてくれたらいいのに。僕は、寝たいと言って、皆に自分のベッドに戻ってもらった。

 少しずつ溶けていく氷がぬるくなって、僕の頬を伝うぬるい水と混ざっていた。


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