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【終末のエンドロール】第九話 それぞれの尺度で

 ペットたちの転送作業は思ったよりもスムーズに行われた。ジョセフが急にフリーズしたかと思うと、周りの動物たちがどんどん消えていく。彼らが痛そうにしている様子もなく、僕たちもきっと同じようにこの世界から出ていくのだろうと、マユとアンナも真剣にそれを観察していた。

 警備員たちが公園の外にいないことを確認して、僕たちは家に帰る事にした。今日が終われば、残りはあと四日か……。そう思ったことで、チサに待っていてと頼んでいたことを思い出した。

 固まって歩いてまた見つからない様に、バラバラの道を選んで帰路につく。さっきの道に戻らなくちゃ……。警備員たちの影が見えないことを確認しながら、ワンブロックずつ戻った。

 さっき、怪我してたよな……。病院に行ったかもしれない。それに、怪我させた男を待つ奴なんて……。

 半ば諦めの気持ちで歩いていると、月明かりに照らされた人が立っているのが見えた。僕は慌ててゴミ捨て場に身を隠したけれど、その影が僕に気づいて走ってくる。終わりだ、と思った、その時だった。

「やっぱり……」

 ホッとしたような声は、聞き覚えのある音程で耳に入ってくる。

「! ごめん、僕……追われてたから」

「うん。警備員の人にさっき聞かれた……。あ、誤魔化しておいたからっ」

 チサの膝からは血が流れていた。痛みは感じないにしても、絶対にゲーム内だって支障は出るだろう。なのに、ここでずっと待っていたのか――。罪悪感がまた僕の背中に張り付いてくる。

「足……大丈夫?」

「あ、うん。寝れば……治るようになってるの」

「そ、そう……」

 ゴミ捨て場にしゃがみこんだまま僕の横に、チサは座った。汚いのに、と思ったけれど、彼女には関係ないのだ。いくつもいくつも思いついては消していくような奇妙なことばかりだ、ここは……。

「どうして……待っててくれたの?」

「――戻ってくるって言ったから」

「あ……そりゃ、そうか……ごめん」

 俯く僕を、じっとチサが見つめているのが分かる。でも、僕はなんだか気まずくて彼女を見れずに、自分のつま先をぼうっと見つめる。違うだろ。そもそも、僕に話さなきゃいけないことがあったから、ここで待っててもらったんじゃないか。

「この世界を出るって……どうやって? さっきの猫ちゃんたちいないけど、もう、行ったの?」

 ぐるぐる考えている間に先手を打たれた。

「! あ、うん……。一緒に住んでる人が……別の場所に移した」

「じゃあ、タイチもそっちに?」

「一応、その予定……」

「その人は――その……私と同じ、なのかな」

「人間、だよ。ここを作った人と同じ」

「そっか……」

「ずっと……一緒に暮らしてた。人間だって知ったのは最近だけど……」

 君と違って、僕のことも、この世界も捨てなかった人間だ。

 自分の心の中にそんな言葉が浮かび上がってくること自体、僕は驚いていた。他の人間たちが僕たちを無視することにいら立つことはあったけれど、きちんと僕を向き合おうとしてくれる人にこう思ったのは、初めてだったから。ジョセフと、他のユーザーと、チサは何が違うんだろう。

「よかった……。生き残れるなら……」

 チサがその場に寝転がった音がして、僕は思わず彼女を見てしまった。彼女は笑って、泣いていた。

「生き残るって……」

 僕は、君たちの尺度じゃ、『生きている』部類に入らない。ショッピングモールで遊んでいたゲームにだって、僕はそんなこと、考えなかった。

「ニュースを見て、怖くなったの。思い出の場所が無くなるんだって思ったら、行かなくちゃって。……勝手だよね。ずっと来なかったくせに」

 寝転がったまま、チサは僕に笑いかけた。

「けど、ここは私を救ってくれた場所だったから。ここがあったから、他の場所に行けるようになったの。ここに、タイチがいたから――……」

 気づくと、チサが言い終わる前に、僕は彼女に覆いかぶさって抱き着いていた。彼女は僕に抱きしめられたって、何も感じないだろう。でも、僕にとって彼女は温かい人間で、僕を気遣ってくれる数少ない親友の一人で、そして――僕の好きな人だった。

「ずっと会いたかった……死んだと思った……」

「うん……ごめんね……」

「ズボラなんだ、キミは……」

「そうなの」

「そうなのって、否定してよ……」

「だって――」

 アスファルトが食い込んで痛いのに、どうでもよかった。ゴミ臭いのだって、気にしない。だって彼女はそんなこと分からないんだから。彼女が今のまま、ホッとした顔を見せてくれる時間を、そんな些細なことで壊すのは嫌だったんだ。

 あまり遅くなるとジョセフたちを心配させてしまうと思ったけれど、僕はチサとこのまま別れるのが怖かった。待ち合わせすればいいなんてこと分かっているんだけど、彼女の手を離したら、また元の世界に戻って、二度と会えないような気がしていた。

「んで、連れてきたワケ」

「お邪魔します……」

「まぁ、もともとはタイチの家なんだし……」

「俺がリビングで寝るよ」

「えっ。いいよ。一緒には寝ないよ」

「乳繰り合われても困るしナ」

「その、私はログアウトすればいいんで……」

「え……」

「どっちなんだよ」

 僕とチサはリビングで夜を明かすことになった。たくさん走って疲れていたけれど、チサの顔を見ていれば起きていられる気がした。

チサがいなくなってから、人がどんなペースで消えていき、どんな経緯でショッピングモールにたどり着き、ジョセフたちと出会ったのか。モールの中で暮らすにはどんなことに気を付ければいいのか。僕は一から十まで全部細かくチサに説明した。チサがずっとショッピングモールで暮らすのが夢だったと言ったので、ゲームを辞めずにずっとここにいたら一緒に暮らせたのにと言い返して、もう僕はすっかり吹っ切れたことに自分で気づいた。

 チサからの話も聞いた。ゲームを始めたのは、学校で友達がいなくなったからだったと。転校して、方言を話す子たちに囲まれて、どこか都会の人間の扱いを受けて、居づらくなった。都会の気取ったキャラクターを求められているのが分かったけれど、自分はお上品な方ではなかった。家の中、それもゲームの中なら、もっともっと、子どもらしい生き方ができた。好きな服を着て、砕けた話し方で人と接して――。

 でも、皆が皆、いつもゲームにログインしているわけじゃない。大人のプレイヤーが多かったこのゲームの中で、チサは一人で過ごすことが多くなった。そうして、いつもベンチにいる僕と出会ったんだ。僕なら、このゲームの住人だから。

 昼間、チサは大学に行っているからログインできないんだという話も聞いて、だから探しても無駄だったんだと脱力もした。今は大学で、好きな分野が同じで、色々な地方から来た人たちと一緒に過ごしているらしい。自分だけがよそ者じゃない空間は、とても居心地がよいのだと話す彼女はとても、楽しそうで安心する。

「今の見た目も、似合ってるよ」

「地味じゃない?」

「まぁ、前はスゴかったから」

「スゴいって?」

「知り合いじゃなかったら怖い」

「ええっ、そうなの? カッコいいと思ってたんだけど。だって……これじゃいつもの私と同じ」

「じゃあ……本物と話してるのに近いのかな」

「……そう、かも」

 僕たちはソファに座って、見つめあったまま動かなかった。彼女の偽物の瞳はキラキラと輝いていて、魅力的で、それが逆に悲しい。僕たちは、本当の意味で出会うことはできないんだと意識する、自分の脳が憎かった。

「でも……不思議。前よりずっと、普通に会話できるようになってるから」

「前もちゃんと話してたよ」

「うーん、話せてはいたけど、なんか前より自然な感じ。それも……ジョセフくんのおかげなのかな」

「僕の能力を、アップデートしたってこと?」

「分からないけど……NPCじゃなくて、一人のキャラクターとして完成させた……。おかげで、前よりも色々な話ができてる」

「……でも、気味が悪いよ」

「自分がされたらと思うとね……。でも、やっぱり嬉しい」

「――何が変わったか、自分じゃ分からないけど……一つだけわかるんだ」

「何?」

「チサを好きなこと」

「え?」

「毎日、チサと話せるのが嬉しかった。チサが僕がいるのを見つけて、走って来てくれるのが嬉しかった。外のことは話してくれなかったけど、目の前で起こる公園のどうでもいい事件を、一緒に笑えるのが嬉しかった。……僕の家族はもうどこかに行っちゃったけど、また帰ってきて、僕の名前を呼んでくれたのが、嬉しかった――」

 偽物でもいいよ。向こう側で、本当の君が聞いているのなら。

「僕は、チサのことが好きなんだ」


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