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本との再会で思ったこと。

最近、5〜6年前に読んでいた本を再読している。
それらは最初手に取ったとき、何を言っているのかさっぱりわからず、読んでいる最中に眠くなってページを捲ることもままならず、そのあげくに人に譲った本ばかりだ。


それらを再び手にして読んでみたのだが、そのどれもにおいて、以前とは全く理解度が違うようになっていた。かつて全く腑に落ちてこなかった内容が、今はまるで復習しているかのようなものとして感じられ、読み進めるにおいても、眠気や不理解が生じるなどの滞りが生じないものとなっていた。


それがとても嬉しく感じられ、自分の変化を実感。


本というのは人と同じく、巡り合わせであるとわたしは思っている。
自分がその本にふさわしいほどの状況にいないとその中身を理解し得ないように、人とのご縁も、同じようなものだと。


似た要素を持つもの同士があるタイミングで邂逅するという点では本も人も同じだが(というか、あらゆる物質においてこれはあてはまる)、タイミングや片方のエネルギーがもう片方に同調していなければ、その縁は長続きしない。


文章であればその内容を理解し得ないということになるし、人であれば、縁が切れることになる。


だけど再び時を経て、両者のエネルギーが同調してくれば、再会するということが起き得るのだ。そして以前は分かり得なかった内容が、その時にはうまく理解できるようになっている。人で言えば、相手が以前とは違う人格や価値観を持った人として現れることもある。


これが腑に落ちるようになってくると、人との出会い・別れに対して、執着を持たないようになってくる。自分に起こるすべての流れは完璧で、出会うべくして出会っていて、別れるべくして別れているのだということに信頼が置けるようになってくるからだ。


この考え方が完全に自分のものとなるまでには、やはりある程度の時間がかかる。わたしに関して言えば、今年に入ったくらいで、ようやく、といった感じだった。


そのことを、読み返した本からふと思ったのだ。
本との出逢いも、一期一会。だけど偶然にも再会して、相手のことがちゃんとわかるようになった時のよろこびというのは、とても感慨深いものだ。


これだから、本との出逢いというのは面白い。
そして、人との出逢いも、まさにそうなのだ。



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