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Rhapsody in BLUE

どうしても海が見に行きたくなって、クルマを走らせてきた。


わたしは田舎の海辺育ちで、小さい頃から海は見飽きる程に近くにありすぎて、大きすぎるのに空くらいに存在感のないものだった。


そんなわたしが、ただ海を見に行くためだけに出かけていったなんて、おそらく人生初のこと。海への渇望、表面張力。


ここ数日自分の中にちょっとした靄みたいなものがあって、それは今まで仕事に費やしていた時間があっさりと手に入るようになったからで、それはすごくありがたいんだけど、この生活が自分のものじゃないような感覚。


しかし靄、海の前に平伏す。
白旗サレンダー。

こんな一点の曇りもない青空の昼間に、こんな雄大な海を制限もなくただ眺める時間があることは、残るは感謝オンリー。目だって滲む。波に悪戯されて、スカートの裾だって濡れる。


この広い海がわたしに知らしめたのは、フェイクな感覚への実証。靄すなわちフェイク。


海はただ引力のままに波を寄せては返し、自然の力の元、ただそこにある。これこそが疑うことなきリアル。


波打ち際の泡。
波間の水飛沫。
水面の煌く反射。
繰り返される波紋。
地球の向こう側まで続くはインフィニティ。


一時間以上も、ただ海。

目を閉じて波の音に耳をすませ、風を感じ、潮の香りに包まれていたのは恍惚。


瑣末なことなど、水平線の彼方へ押し流してしまえばいい。
頭も心も澄んで、車へと戻るわたしの足は砂浜を噛み締めるうち、ただならぬ多幸感。


そう、ふざけてちょっと悩んでみただけ。
この文章は遊んでメタファー。


悩みはわたしにとっての、たまの娯楽。
与えられる文字は、たまの媚薬。


※変なクスリはやってない。こういう文章を書いてみたかっただけ。


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