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成功を追い求めることは、幻でしかない


今日、映画【グレイテスト・ショーマン】を観てきた。
わたしは映画フリークではないので劇場にしょっちゅう足を運ぶようなタイプではないのだけれど、この映画だけはどうしても劇場で観た方がいいような気がしたのだ。


とはいえストーリーはもちろん、映画のサントラもすごく評判が良いという話はちょくちょく目にしていたので、そこに多少の期待があったことは事実。


確かに音楽は評判通りに素晴らしかった。というか歌詞の内容が、その要を成しているなと。タイトルは【This is me】ーーー周りの評価やどう見られるかなんて気にするな。どんなに人と違っていてもいい。自分の個性を堂々と、命のままに表現しよう。枠を飛び出せ!というもの。


全くもってその通りで、それ以上のことはない。それはもはやこれからの時代、自明なのだ。そうとわかっていても今まで築き上げてきた安全地帯に留まることを選ぶか、リスクを負ってでも枠を乗り越え、自分を堂々と表現することを選ぶか。



安定と現状維持を選ぶか、不安定と挑戦を選ぶか。それはもはや各人の選択の問題であるけれど、この両者がこれからの時代、互いに交わることは少なくなっていく。このことについては多くの識者が知らしめていることであるけれど、それを信じるか信じないかも各人の選択。


その話はひとまず置いておくとして。
わたしがこの映画で最も感銘を受けたのは、【This is me】という曲よりもむしろ、この映画で語られていた主題。


これはわたしの主観が入るので、本来のこの映画のテーマとは異なるかもしれない。わたしが思うそれが何かと言うと、成功を追い求める生き方には、真の幸福などは見出せないということだ。


多くの人が皆、この世の中での成功を追い求め、そのために多くの時間と体力を削って、そこに邁進する。【成功すれば幸せになれるのだ】という、夢を追い求めて。


それは一見輝かしく、自分の人生の意義を見出すために努力する、偉大なる歩みのように見えるだろう。それに向かって進んでいる間は自分の存在価値を見出せるような気がして、人はそのために多大なる努力を重ねる。


成功して世間に認めてもらって、たくさんの人に賞賛され、多くの富を得ること。高い地位につき、周囲から崇められること。それにより、自分が偉大な人間であるという実感を手にしたいと願うこと。


それらにこそ幸せがあると人は信じて、ただただ人生の多くを、そのための活動に費やす。これが永遠に終わらない、幻想のレースだと気づくことなく。



わたしがそれに気づいたのは、つい最近のことだ。


それまでは自分が生み出した何かで成功を収め、より多くの人の評価を得ることを、一つの目標にしていた時期がある。その達成こそが、自分がこの人生で為すべきことだと信じきっていた。世間的に偉大だと思われることを成し得て、目に見える賞賛や名誉を勝ち取る。それが人生の目標だと思い込んでいたのだ。


とんだ幻だ。


わたしが何を言っているのか、全く意味がわからないという人もたくさんいるだろう。何を子供騙しみたいなことを言っているのだと思う人もいるだろう。成功が得られない人生に、何の意味があるのかと思われるだろう。そんな遁世的な言い分が通じるはずがないという意見もあるだろう。


だけどわたしはそれに気づいてから、見える世界が完璧に変わった。
そして得た一つの結論。


成功なんていうものは、ただの幻だ。


それがこの映画【グレイテスト・ショーマン】で得た、さらなる確信だった。やっぱりなという、強い確信。その確認。
作られた仮のストーリーに、確信もへったくれもあるかと思われるだろうが、何を信じるか信じないかはその人の自由であり、わたしは自分の考えを押し付けてそれに従わせたいわけではない。


これはあくまで、ひとつの意見だ。


だけどわたしは成功を追い求める人生や、そのための考え方からは完全に、抜けた。成功には天井がなく、それは自我を満たすためのものでしかないということがわかったからだ。


自分にとっての幸福が何であるか、またはそれを実感するにはどうすればよいかを腑に落とすには、個人それぞれに段階があり、そこに至るまでの試練がある。成功を追い求めることこそが人生の意義・目的だと思うのもひとつの生き方であるし、それを否定する気もない。だけどわたしはそれを選ばない。たったそれだけ。



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