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頑張ることっていいことなの? 前編

昨日は息子が練習試合でホームラン級のヒットを打ちました。上級生なのにレギュラーになりきれないうちの息子。昨日は三振もなく、良い成績だったので、嫁さんも喜んでました。ご褒美にとスーパーで桃を買ってきたのですが、一番おいしいところは当然息子で、私はカスみたいなところしかもらえませんでした。いやいや、息子のご褒美なんでそれでいいんですよ、はい😁

息子は野球で頑張っていますが、頑張ることって必ずしも良いことばかりではないと思うことってないでしょうか?特に仕事においては、頑張ることだけが正解じゃない、いや、誤解を恐れずに言うと、頑張る人こそが会社をダメにしていると言っても言い過ぎじゃないようなことがあると思います。

昨日までに書いてきたように、分業になることで仕事が増えるというのが私の持論ですが、分業することでもちろん良いこともあります。職務を何かしらのくくりで分割し、専門性を高めていくことで仕事の質が上がる、ということもありますよね。そして余力を使って今まで目が行き届かなかったところまで見ることができるようになったりします。

ただ、自分は頑張って職責を全うしよう、より良い結果を出そうと頑張っても、それが不可欠な仕事でないならば多くの人にとっては逆に負担になってしまうことがあります。

先日、こんなことがありました。

うちの会社の品質管理部門の管理職が、体制を強化しようとして人を追加したんですね。その人はさっそく活発に動き、いろいろな課題を挙げてくれるようになりました。その管理職は大満足で、彼が来てくれたおかげでだいぶ良くなったと喜んでいました。

ですがその実は、うちの部署に対してあの資料を作れだの、ここの管理が抜けてるから全部やり直せだのと指示をするだけ。言ってることは間違いではないし、我々も襟を正さないといけないところはあるんですが、実際にはそれをやったところで特に何かが良くなるわけではなく、仕事が増えるだけ。彼は彼なりの正義感でもって、「頑張って」問題点を列挙したつもりなんでしょうけど、我々にとっては最低の「改善」になってしまっているわけです。

こういう具合に、個人レベル、個別部署単位レベルでは頑張っている結果でも、全体にとっては困ることってたくさんあると感じています。また、その頑張りは上の人から見たら素晴らしいことに見えるわけです。そりゃそうですよね。今まで見えてこなかった課題をどんどん挙げて、改善しようとしている。のらりくらりとかわそうとしている部署(私のところです)が問題を先送りしようとしていると見られても仕方がないわけです。

合成の誤謬という言葉があります。主に経済の分野で使われる言葉みたいですが、個々のレベルでは正しいことをしても、全体で見ると悪い結果になってしまうことを言うようです。

個人個人は会社に貢献しよう、上司の期待に応えようと頑張る。これ自体は尊いことだとは思うんですが、それが全体にとっては仕事が増える方向に作用してしまうことが多々あります。仕事が増えるだけならまだしも、自分で自分の首を絞める結果になってしまうこともあると思います。

続きはまた明日書きたいと思います。

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