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眠海録

BFC6一次選考通過作。
海に眠る都市の中で、象嵌師ミルアニムは空より落ちる㐬彁リウセイの欠片からセイをつくる。
象嵌師ミルアニム見習いの枼肄アンリカは、師であり母でもある彔璻リィナクの元で新たに生まれたセイの世話をしている。自身を顧みず別の何か・・を見つめ続ける彔璻リィナクへと、枼肄アンリカは次第にとある疑念を募らせていく。
循環する都市と母娘の殺伐百合SF(ファンタジー)。


 海に眠る都市まちがある。
 黎昊ニヤサユイを掃く㐬彁リウセイを拾い集め、生命いのちとあわせてセイをつくる者たちがいる。象嵌師ミルアニム彔璻リィナク汐睡の都ラウシャヌイの工房で鈍く煌めく破片を覗く。流麗に掘り抜かれた原型へ㐬彁リウセイを嵌め込み表皮をならす。滑らかに艶やかに言祝ぐように、薄膜を塗り幾度も磨けば、やがて淡い魂のが器に宿る。潮汐を嗅ぎ、薄弱ながらも温かな光の粒に、彔璻リィナクはそっと真名を囁く。「我が子、我が子、眠れる海の愛しき塵よ──」
 海中に咲く波碧標花シアリフィの剥片が泡沫ほうまつに揺蕩い光を散らす。彔璻リィナクは弟子の枼肄アンリカに新たなセイの世話を任せる。都に在るセイのほとんどは、自らを生んだ者を知らない。代わりの手により育てられ、臓腑が固まる頃になると工房を離れて都市を漂う。例外は枼肄アンリカのように象嵌師ミルアニムに師事するセイたちで、今や象嵌師ミルアニムとして最高位にある彔璻リィナクも、かつてはその同類だった。
「お師さま、お師さま、私もいつかは象嵌師ミルアニムになれるでしょうか」
 弟子となって間もなく、枼肄アンリカは度々そのようなことを無邪気に訊ねた。しかし彔璻リィナクは一抹の反応も見せずに黙々と㐬彁リウセイと向き合うばかりで、枼肄アンリカは次第に口数を減らしていった。ふたりの間には水底の沈黙が降り積んでいる。嘯士ハナセリ眠守歌ラウハウネーにも安らぎが灯ることはない。
 汐睡の都ラウシャヌイは堆積した㐬彁リウセイの彫刻である。象嵌師ミルアニムに拾われることのなかった残骸や生の合間にこぼれたものが悠久の時に結晶となり、それを削り出して都市は生まれた。渦巻く塔の群れは潮汐の恵みに生かされており、複雑に交錯する街路には艶めく白磁の髪が揺れる。彔璻リィナクは持てる時間のほとんどを㐬彁リウセイに触れて過ごしたが、休息の折には工房の窓辺からセイの営みを眺めていた。波碧標花シアリフィの花弁を封じた涼やかな音の昊晶球シユレを弄び、虚ろな心をほどくように、微かな笑みを浮かべながら。
彔璻リィナクを生んだ象嵌師ミルアニムは、たいそう美しいセイだったとか」旧友の賁韶フュルネが戯れに言う。「彼女はどこへ?」問うと噂好きの嘯士ハナセリは首を振って「知らないよ。その辺にいないなら、底の方にでも消えたんじゃない?」曖昧な言葉で枼肄アンリカを困惑させた。
 彔璻リィナクは自身について語ることなく、故に彼女が眼差す先に何があるのか、枼肄アンリカは知らない。汐睡の都ラウシャヌイには微睡みにも似た永遠がある。枼肄アンリカは無言のままに背中を見つめ、うつらうつらと時の水脈みおを漕ぎ続けている。
 工房へと続く回廊を歩く時、外にせり出した露台からセイの葬送を見ることがある。随行の嘯士ハナセリが清廉な調べを奏でて歌い、眠る骸は廻流ラヴィネを緩やかに辿っていく。セイはその死に際して、身体を構成する一切が㐬彁リウセイに変ずるという。流動性を失い硬直し、最後には水底のうろへと送り出される。落ちる。落ちる。果てなき闇に呑まれて消える。彔璻リィナクもいつしか㐬彁リウセイになる。不意の想像に枼肄アンリカは身を震わせる。象嵌の筋をそっとなぞり、甘い疼きを押し込める。
 繋がりは儚く、思いは歪な澱のようだ。象嵌師ミルアニムへの敬意は彔璻リィナクへの憧憬と重なっており、枼肄アンリカは底なしの瞳とたおやかな指の蠢きに魅入られていた。「お師さま、お師さま。どうしてセイをつくるのですか」生まれたばかりのセイを受け取り枼肄アンリカは言う。抱えた身体の真白い髪が肩を流れ、閉じた目蓋は永遠の眠りを思わせている。「母になるためだ」彔璻リィナクは背を向けたまま、たったひとこと声を返した。
 㐬彁リウセイの降る日には誰もが遠い黎昊ニヤサユイを見上げている。都市の道々に姿を見せたセイたちは、昊晶球シユレと見紛う鮮烈な光の軌跡に歓声を上げ、枼肄アンリカはそれを見る度に、同胞の誕生を言祝ぐようだと思う。賁韶フュルネも彼らの中にいるだろう。漂う噂に耳を傾け、真実の眼を隠している。彔璻リィナクが席を立つ。㐬彁リウセイを拾い、セイを象る。
 他の象嵌師ミルアニムにつく弟子たちが次々独立していく中で、枼肄アンリカだけがいつまでも残されている。愚かな疑念が象嵌の痕を伝い落ちる。何もかも彔璻リィナクの夢なのではないか? 終わることなく尽きることなく、あの繊細で美しい指先が魂の形を彫る限り続く夢。彼女の内にこそ己は在って、生まれることもできずにもがいているだけではないか? 口腔を満たす水は彔璻リィナクの味そのものであり、遠く波打つ嘯士ハナセリの声は、自身に向かうものではなかったか。
 眠守歌ラウハウネーが都市を彷徨うのは、あるべきところに届くためだと賁韶フュルネは言った。「最後には廻流ラヴィネに乗って果てへと向かう」そこから先を知るものはなく、だから汐睡の都ラウシャヌイセイが絶えることはない。すべての痛みは遠ざけられる。あらゆる営為は目覚める前の幻であり、嘯士ハナセリの歌は滅びぬセイへの慰めである。
 眠りに秘された真実のため、真名を偽り彔璻リィナクを都市の淵へと招き寄せる。白磁の髪が優美にほどけ、惑う背中に呼びかける。「彔璻リィナク
「母さま──」振り返る。視線が交わり、見開かれた双眸が憂いを灯す。「……ああ──」
 瞳に映る真実を見る。
 自身をしるしたたがねを突き出す。
 抱擁の中に虚ろな吐息が零れ落ちる。落涙は海に蕩け、目覚め前の譫言だけが泡沫となって震えている。
「母さま、母さま。私は貴女あなたになりたかった」
 どちらの声ともわからないまま、くずおれる彔璻リィナクは全身を㐬彁リウセイに変え、さかしまに水底のうろへと沈んでいく。こぼれた破片が宙を舞い、波碧標花シアリフィの花弁に混じって微かな煌めきを都市まちに散らした。
 やがて黎昊ニヤサユイ㐬彁リウセイが掃き、象嵌師ミルアニム枼肄アンリカ汐睡の都ラウシャヌイの工房で鈍く煌めく破片を覗く。「我が子、我が子、眠れる海の愛しき塵よ──」囁く言葉は凍てつく波に攫われ消える。眠守歌ラウハウネー廻流ラヴィネを辿る。あまねくセイ永遠とわの眠りに沈みゆく。そして再び㐬彁リウセイとなり、魂の象嵌は果てなき海の目覚めを誘う。
 セイの眠る都市まちがある。
 汐睡の都ラウシャヌイの工房に歌が漂う。見上げた黎昊ニヤサユイの遠い果てには、眩いセイの光跡が刻まれている。象嵌師ミルアニム㐬彁リウセイに触れる。海はそこで眠っている。


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