「夜」という時へのラブレター

 弊社のnoteを書いたら、なんだか地鶏のnoteも更新したくなり、こんな夜中に書いています。こんばんは。

 突然だけど、私は夜が大好きです。

 開業してから今に至るまで、丸一日休みという日はコロナになった時以外になく、しいて言うならば、夜は寝る前の貴重な「休み時間」。だれかとごはんを食べたり、ジムに行ったり、時々セックスしたりもした。だけど、夜の過ごし方で一番好きなのは、家で一人音楽やラジオを聴きながら頭の中にあるさまざまなことを整理し、ときに言葉にしていくことだった。

 私は、深夜のテンションで書く文章が好きだ。夜中に浮かぶ言葉を愛しているし、夜中の静けさと落ち着きの中で自分から生まれる言葉を、わりと信用している。よく、「深夜のテンションで書いたから翌朝読み返すと恥ずかしい」と言う人がいるけれど、私は読み返すと「やっぱいいこと言うな~」としみじみと思う。

 夜は、私にとっては「健全に生きなくたっていいよ」と言ってくれるような時間である。フワちゃんのオールナイトニッポン0は深夜3時からやっていて、彼女は毎週「キモ時間」と呼んでいる。私もそう思う。いわゆる「ふつう」を生きる人は絶対に起きていない時間。だからこそ、私は深夜を、深夜に出てくる素直な思考や言葉を、愛してやまない。
 
 全く話は変わるけれど、10月末に、愛猫が5歳で亡くなった。社会人1年目で拾った、大切な相棒であり、たぶんだけど今までもこれからもこれ以上現れないくらい、私のことを世界一好きな男だったと思う。幾度もした引っ越しにもついてきてくれ、仕事をクビになったときも、好きな人に振られたときも、独立して初めてのお客さんがついて、初めての売上ができたときも、いつもそばにいてくれた。時に怒ったりもしたし、傷つけたこともあった。だけど、突然逝ってしまった。心の準備なんかできていなかった。体調の変化に気づけなかった自分を何度も呪った。
 
 元々バカみたいに涙もろい私だけれど、10月から11月の間、たぶん1年分は涙を流した。今も、誰かに猫の思い出話をしていると泣きそうになるし、「大変だったね」と声を掛けられるだけで涙ぐむくらいに、涙腺はいつだってギリギリを攻めている。彼に思いをはせるのは、いつだって朝ではなく夜。夜は思い切り悲しみに浸らせてくれる。我ながら、日々一生懸命働いて、暮らしていると思う。芽が出るかもわからない種を、自分なりに精一杯明るく元気に、毎日毎日蒔き続けている。だからこそ、静かに、さみしさや悲しさに心を預ける時間が、私の心のバランスをとってくれている。日曜(もう日付変わって月曜)の深夜1時過ぎに泣きながらこの文章を書いているのも、キモ時間を生きる自営業者独特のムーブなのかもしれない。普通の会社員の方なら、もう月曜日に備えて寝ているから。

 止まらずに進み続ける日々は、良くも悪くも悲しむ暇がない。偶然にも周りの人たちが本当に助けてくれて、優しい言葉をかけてくれたり、ただそばにいてくれたり、お花をくれたり、色々な形で愛を示してくれた。その愛情と優しさに応えるべく、経営者として私は、毎日懸命に進んできた。だけど、遺されたもう1匹の猫と過ごす深夜の静かな時間は、素直に「ごめんね、さみしいよ、会いたいよ、愛しているよ」の気持ちにふと戻してくれる。そんな時間を作ってくれる、夜が大好きだ。なんでもない、だれでもない、たったひとりの「私」として生きさせてくれる、夜をこれからもきっとずっと愛している。

幸せをたくさんくれた君のこと、これからもずっと大好きだ

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