見出し画像

【職人探訪vol.7】塗師一家が惜しむほどの繊細な技術を持つ蒔絵師・小林直彦さん

こんにちは。漆琳堂8代目当主、内田徹です。
越前漆器を支える職人たちを訪ねる「職人探訪」

2018年8月、漆琳堂と40年以上の付き合いだった蒔絵師・小林直彦さんがお亡くなりになりました。突然の、出来事でした。

今回は漆琳堂を支えてくれている父母とともに、蒔絵師・小林さんの活躍を振り返りました。

画像1

内田母「パタンと亡くなって、急死。昨日まで生きてた人が、次の日、いなくなったって感じ。」

ーほんとびっくりやったね。越前漆器は、プロの料理人に時間をかけて使われてきてる。例えばこの商品を10年前の料理人がもう一度注文してくることは普通にあるから、そのときに困るんやね。

内田父「これくらい腕のある人が、もう出てこないんじゃないかってくらい、すごい人やった。」

ー直ちゃん(小林さん)とのお付き合いって、どれくらいになるんやっけ。

内田母「付き合いは、彼が結婚する前からだから40年くらいかな。彼が22歳から63歳までの40年間。ずっとお願いしてたから、この絵といえば直ちゃんってのが決まっとるもんもあったわ。」

ーそうやね、たくさんお願いしてたよね。

内田母「いなくなって初めて、その人の腕の良さがわかった。今、改めて彼の絵を見ると、波は動いているように、千鳥は飛んでいるように見えるわ。筆がすべり、線が生きてるみたいに。松葉を描いても、すすきを描いても、絵が生き生きとしてる。単純な絵なのにね。」

内田父「いなくなってしまって、なおさら彼のよさがわかったね。本当に、惜しい人やった。」

ー生きてるような、魅力的な絵やったね。

内田母「物があるから、彼を偲ぶことはできる。けれど、その人にもう一度、描いてほしいとお願いすることはできないんやね。」

ー同じものは、もう作れないね…。越前漆器は、1点もののアートをやってるわけじゃなくて、同じものを何個もつくる世界。でもその人にもう描いてもらえないってことは、もう同じものを作れないってことでもある。

内田母「これ、すごいと思わん?線の間隔、細さ、強弱、全部すごいわ。」

画像2

内田父「しゅっと描けるようになるには、時間がかかるんや。一気に長い線を描くって難しい。例えば、刷毛目塗りのお椀。刷毛目ってことはザラザラしてる表面に、線をまっすぐ描くことだけなんやけど。普通は、ザラザラしてるとかすれてしまう。この線をこれだけきれいに描ける人は、本当にいないよ。」

内田母「線を綺麗に描く勉強をしてらっしゃる。高校卒業されてからずっと蒔絵で。自分で腕を磨こうと、勉強してたしね。」

ーいくつになっても、ちゃんと勉強する人やったね。

内田母「そうやね。直ちゃん(小林さん)は仕事に就いてからも、金沢蒔絵を学びに金沢まで通って上を目指してた。だからこそ、うまい。線を描くだけでも、うまい。
さらに、線を描くんやけど、はみ出るとだめね。太くなったりずれたりせんと、一定の長さの線を描く。なかなかこんなにきれいに描けるもんじゃないよ。」

内田父「うち(漆琳堂)っぽくってお願いすると、ちゃんとうちっぽく描いてくれる。わかってくれてるんやね。」

ーそうそう。予算だけ伝えると「漆琳堂さんが好きそう」って柄を描いてくれる。普通の人にはわからんかもしれんけど、漆琳堂らしさを支えてくれてた。


ーそういえば、最初のきっかけは何やったん?

内田父「直ちゃんは最初、高校を出て5年くらい見習い人として通っててん。年季が明けて4月から8月までお礼奉公をして、それから夏から独立するってんで、『お願いします。蒔絵を描かせてほしい』とうちにお見えになったからお願いすることになった。その時は、まだ高校を出て5年やから22か23くらいかな。それからずっと、うちの蒔絵をお願いしてたよ。」

内田母「忙しい時があってん、バブルのとき。直ちゃんはものすごく責任感がある人やった。できないって言って、一度受けたお椀を全部もってきて頭下げてきたこともあったわ。」

ー仕事を断るのも、信頼される断り方があるよね。あのときは仕事もたくさんあったから、たくさんお願いしてたんやけど。描く時間がこれくらいかかるっていうので、直ちゃんができないって言ったらもう、できないんやなって思った。できなかったら、すぐにはっきり判断してくれてたし、直ちゃんができないって言ったらそれまで。信用できる人やった。

内田母「逆に、 納期的にできるか不安な時は、直ちゃんができるって言ったら安心やった。」

ー業務用漆器は、制作が一日でも遅れると飲食店のオープンに間に合わないから凄くシビアで。そこをしっかりとわかってくれてる人やった。

内田母「直ちゃんが住んでいたのは、河和田の山一つ向こうの地区。私らの住んでる河和田地区から直ちゃんのところに行くってなると、高雄トンネルを通らなあかんかった。」

内田父「蒔絵のほとんどをお願いしてたから、1日に2回3回と行くときもあったね。」

内田母「ほとんど毎日通ってたあの道をもう通らなくなってしまったね。今はそれこそ、あの道に行くと懐かしい気持ちになってしまう。」

画像3

ー印象に残ってることは、ある?

内田父「一度、伝統工芸士の試験を受けるように勧めたことがあって、受けてくれてんや。そしたら、業者のつながりや横の線ができてよかったって言ってくれたわ。河和田の伝統工芸士さんとのつながりもできて、喜んどったね。」

ーそうやね、産地との関わりがもともと少なかったからね。

ーあと、直ちゃんはすごく賢い人やったなぁ。自分の蒔絵の値段をすべて覚えてて、依頼をしたらすぐに見積もりを出してくれた。二人にとっては、どんなイメージの人やった?

内田父「黙々と手を動かす人やったなぁ」

内田母「ヘビースモーカーで、タバコが好きやったね。ただ、お酒は飲めなくてギャンブルも全然。すごい真面目な人やった。そこがよかったよね。」

ーもし、もう一度会えたらどうする?

内田母「もしまた会えたら、また蒔絵をお願いするわ。もっと、直ちゃんの価値を見出せばよかった。あの絵が当たり前やと思ってた。」

内田父「直ちゃんでないと、あかん。直ちゃんにしか描けない絵ってのがたくさんあった。寂しいね。」

ー器は残るけど、もう描いてってお願いできないことってこんなに寂しくなるんだ。職人一人ひとりの作品にその人らしさがあって、味わいがある。改めて、ものづくりの奥深さに気づけました。一つの商品が宝物のように感じる思いにさせてくれた一日でした。

2020蟷エ9譛・4譌・縲貍・正蝣よァ・迚ゥ謦ョ繧・re0Q9A0184



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?