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東日本大震災時にあった出逢いの話

2011年3月11日
東日本大震災時にあった
ある出逢いの話を書いてみたいと思います。

震災当時、私は大学生でした。
その日サークル活動があったので
電車で目的地に向かっていたところ地震に遭いました。

乗っていた電車は終点まで向かうことができなくなり
途中駅で運行を取りやめてその後は運休。

駅入り口シャッターがだんだんと閉まっていくのを放心状態で見つめながら
とりあえず家族に連絡をするため電話をかけたところ
すぐには通じず、メールの送受信にも時間がかかり
結局家族全員の無事を確認できたのはそ1時間ほどたったあとでした。


なんとかして無事に帰ってきてほしいと言われましたが
電車も止まり、まったく降りたこともない駅にいるこの状況に
途方に暮れていたところ、1人の女性に声をかけられました。

その女性は私より10歳以上年上の方で
仕事に向かう途中で地震に遭い、会社から帰宅指示が出たところだという。
帰り道について話しをすると、私の家がある駅から2、3駅離れているところに彼女も住んでいるということが分かり家に帰るために私たちは一緒に行動をすることになりました。

とりあえず現在地から30分ほど歩いたところに
大きなハブ駅があったのでそこに向かうと
駅には私たちと同じような帰宅困難になられている方がたくさんおり
タクシーもバスも長蛇の列。
これは少し情報の精査が必要だと判断し、私たちは近くを通る方に声をかけて帰りたい方面へたどり着くための情報を集めていきました。

街中歩きまわりくたくたになってしまったころ
彼女は「ちょっとそこで待ってて」と足早にコンビニに向かい
コーヒーや、おにぎりなどの軽食を買ってきてくれて
それを道端で食べながら流行りのコスメやファッションの話をしました。
とてもこの状況下とは思えないような内容の話をしたあとに
あえて気持ちが明るくなるような話題を振ってくれたことに気が付き
そんな彼女のあたたかい心遣いに不安な気持ちがほどけていきました。

その後帰りたい方面に向かうタクシーが、今いる大きなハブ駅の
隣駅で出ているかもという情報を得て私たちはその駅に向かって
また歩きだしました。

あたりはすでに真っ暗で、道路には車が大渋滞。
クラクションの大きな音が鳴り響き
歩道にはたくさんの人が列をなして歩いていて
初めて見るこの光景に私たちの身に起きていることは
ただごとではないということを改めて痛感させられました。

そして隣駅に到着したところ帰りたい方面に向かうタクシーがきていて
そこにはすでに待っている方が2人いました。

声をかけたところ2人も私たちと帰る方向が一緒で
私の家がある駅の隣駅に住んでいる方だったり、そのまた隣駅の方だったり偶然にもご近所の方々だったので、私たちはその2人と相乗りし
それぞれの目的地を目指しました。

家に近づくにつれひとり、またひとりとタクシーを降車していき
そしてとうとうお世話になった彼女が降りる番になったので
道中での感謝の気持ちを伝えると

「元気でね、この後もどうか気をつけて」
と笑顔で去っていきました。
こうして彼女と過ごした時間は終わっていきました。

その後、私も家に帰ることができましたが
玄関を開けるとあたり一面溢れ出てきた荷物や
皿やガラス片などで埋め尽くされていて

もしあのときそのまま家にいたら
私もこの荷物たちに潰されて怪我をしていたかも。
いや、怪我ではすまなかったかもしれないと
そんな事を考えて玄関で立ち尽くしていたところ
母が驚いた表情をしながら出迎えてくれました。

帰宅困難になられている方がたくさんいることを
ニュースを見て知っていたようで
帰ってこれないだろうと母は思っていたようでした。

なので当日中に怪我もなく、
無事に帰ってこれたことは奇跡に近い状況でした。
あの時駅で彼女に声をかけてもらえなければ
私は不安に押しつぶされるばかりでなにも行動できなかったでしょう。
彼女との出逢いがあったから最後まで安全に家まで
辿り着くことができたと思っています。

あれから12年たちますが震災当時のことについて考えると
毎回不安や恐怖に引き込まれそうになるところを
彼女と過ごしたあの時間がそうなる気持ちを留まらせてくれています。
私にとってとても大切な出逢いでした。

いま彼女がどうしているのか 残念ながら分からずにいますが
今日もどこかで幸せな時間を過ごしていることを
これからも願い続けます。


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