見出し画像

ある種の

 小説は書かないがたまに私のnoteを覗いてくれている妻に言われて「なるほど?」と思ったことがある。

「小説のレビューって一種のセラピーだよね」

 なるほど?
 知らず知らずのうちに私は、畏れ多くも感想を書くことで作者の方にセラピーを施していたのだという。
 そんなつもりは毛頭なかったし考えたこともなかったが、言われてみればやっている活動が結果としてそのような性質を帯びるということはあるかもしれない。大学では心理学を専攻していた妻の視点を興味深く感じた。
 おこがましくも他人様に癒しを与えたり、悩みの解決方法(のヒント)を授けたりといった効能を謳うつもりはないが、翻って自分の創作を考えてみれば、やっぱり感想をもらうのは単純に嬉しい。どこまで行っても創作とは孤独な作業だからだ。自分の書いたものを少なからずわかってもらえている、自分の考えた人物の名前や物語の筋書きについて、誰かが話をしてくれている。それはよくよく考えるとすごいことだ。奇跡的な連関かもしれない。

 感想を書くことで、私自身も改めて小説の面白さを見つめ直し、勉強する機会にさせていただいている。救われているのはむしろ私のほうかもしれない。書くことには一定の療養効果がある、それもおそらく事実だろう。

 だからこそ、書き手は受け手がどう取るかを考えて慎重を期さねばならないのだろう。セラピー効果があるとするならば、逆効果もまたありうるからだ。行き過ぎた悪辣な評は、同時に評者自身の心理や創作に対しても、暗い翳を落としかねない。それは不幸なことだ。

サポートは本当に励みになります。ありがとうございます。 noteでの感想執筆活動に役立てたいと思います。