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暗号ミステリの難しさ

 昨日付で、読者への挑戦状つき暗号ミステリ『次の一球は?』の出題編を投稿しました。

 よろしければ挑戦してみてください。容易に別解潰しができる性質の暗号ではなさそうなので、さほど深くは別解について考察していません。そもそも根っからの文系人間で、理数系の発想力は持ち合わせていないのですが。もしハッとするような別解が示されることがあったとしたら、それはそれで楽しみです。

 逆に、誰も正解にたどり着けないんじゃないかという恐怖もあります。読者の推理を促すようなミステリを書くときにいちばん気を遣うのは、難易度の問題です。なにせ自分は答えを知りながら書いているわけですから、書き上がったあとに、なにも知らないまっさらな状態で読み直すなどということは、記憶喪失にでもならない限り、できません。
 査読を妻にお願いするという選択肢も考えたのですが、じつはパソコンの横に放置してあった、暗号を解く鍵があからさまに書いてある重要なメモを見られてしまっていて、やはりフラットな状態で読んでもらえないだろうと思い、やめました。
 あくまでnoteは私的な趣味でありゲームに過ぎないので、自己満足でいいんですが、いざ書き手に回ってみると、ある意味では編集の存在って得難いんだろうなぁと感じた次第。図版を編集するときも、どこまでヒントを出すか迷いました。ヒントが多すぎて難易度が極端に低いのも、それはそれでつまらないですからね。

 ちなみに、暗号もののミステリを書くのは、今回が生涯で初めてのことでした。
『小説の書きかた私論』の第四章「トリック考」でも暗号ものについては言及しなかったので、ここで私的な考えをまとめておきたいと思います。

 暗号は基本的に、以下の構造によって成り立っています。

「入力された暗号」×「特定の鍵」=「メッセージの出力」

 なんらかの意味不明な文字列や数列があるとして、それに特定の法則性をもった「鍵」の処理を施すと、意味が通る本来のメッセージが出力される。これが暗号の基本構造です。

 現実において暗号を解読するのが難しいのは、この「鍵」と「出力」を両方とも暴かなければいけないからなのだろうと考えています。
 余談ですが、第二次大戦時の暗号解読の現場を描いた『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』という映画は素晴らしいので、ぜひご覧ください。

 ミステリにおける暗号としては、例えば「ダイイングメッセージ」が挙げられます。
 これは、殺害された被害者が死の間際に意味不明の(かつ、意味ありげで面白そうな)文字列や数列を遺しており、その暗号を解読すると、意外な真犯人の名前が告発されるという構造をもっています。つまり完全なるブラックボックスとして推理すべきは「鍵」であり、「出力」については多くの場合「作中にすでに登場している人物名」などのヒントがあります。「出力」の側の選択肢をどこまで絞るかで「鍵」の解読の難易度は調整されることになります。
 また「鍵」を解くに際し、特別な知識を要求するかどうかでも難易度は大きく変わってきます。特別な知識を要する場合には、それが読者に対してフェアであるかどうか、書き手はつねに注意すべきです。ちなみに今回、私は「挑戦状」の文面で「野球に関する特別な知識は必要ない」と断わっておきました。

 実際に書いてみて思ったのですが、暗号ものは着想と論理の構築、そして執筆にやたらと手間がかかる反面、書き上がったときの手応えが薄いのが難点かもしれません。
 これほど時間と手間をかけたにもかかわらず、一瞬で解かれてしまったとしたらなんだか悲しいし、逆に難しすぎて誰にも解かれないままであるのも辛い。

「鍵」というものの性質が、あるいは災いしているのかもしれません。「鍵」というからには、対応する鍵穴の扉はすべて必ず開ける万能性を帯びているはずです。いつも開け閉めしている自宅の鍵が突然、閉まったまま開かなくなったりしたら、そりゃ困りますよね。
 だから「鍵」の内容を看破された瞬間、作中に提示されたすべての謎が呆気なく解かれてしまうことになる。判ってしまえばそんなものか、で終わってしまうおそれがあるのです。少なくとも叙述トリックのような「世界をひっくり返してやったぜ感」はなかなか得られない。比較的、地味なんですよね、暗号は。

 もちろん書き手もそのあたりは苦心して、読者が「判った!」とひらめいたときの驚きと爽快感を演出できるよう、あの手この手で試行錯誤することになります。

 いちおう私も、なるべく読者に驚きを与えられるように意外な「鍵」を用意し、伏線を仕掛け、演出に努めたつもりです。
『次の一球は?』では、野球においてキャッチャーが出すサイン、つまり入力された「暗号」と、実際に投じられたボールという「出力」が示されていきます。推理すべきは「鍵」のみとなります。「鍵」さえ判ってしまえば、最後に投げられた一球も自明となるはずです。
 その「鍵」に至るヒントとして張ってある伏線は、ある意味では叙述トリックの応用というか亜種に分類されるかもしれません。暗号それ自体は読者を騙す手法ではないので、ここまで私は意識的に「暗号ミステリ」「暗号もの」と書いてきましたが「暗号トリック」とは一度も書いていません。しかし「鍵」に至るまでの道筋をダブルミーニングなどを用いて誤認(ミスリード)させようとするのは、ある種の「トリック」といえそうです。

 とはいえ、それは補助的な役割に過ぎず、暗号ミステリへ向けられる興味の本質は、人間のコミュニケーションの問題にあります。なぜわざわざ暗号が使われるのかといえば、それはたとえどんな困難な状況下であろうと、人間が手を尽くしてコミュニケーションを取ろうとするからです。えてしてそれは、他人に思惑を知られてはならない、ひりつくような勝負の場となります。今回はその演出の一環として、外国人ピッチャーを据えてみました。通訳がいなければ言葉も通じない、あまり学があるとはいえないピッチャーを相手に、キャッチャーはどうリードしていくのか。その工夫を推理してみてください。

 一介の野球ファンとして、いつか野球のサイン交換を題材に暗号ミステリを書いてみたいなと、以前からぼんやりと考えてはいました。今回それを形にできて、ひとまずよかったです。
 その昔、プロ野球のピッチャーとキャッチャーはグラブやミットに乱数表を貼りつけていて、それに基づいて球種のやりとりをしていたのだそうです。まさに暗号そのものですね。かように野球と暗号とは、親和性が高いのです。
 投球準備のたびに乱数表を確認するのはアナログで煩雑そうですが、なるほど強固ではあります。華々しく正々堂々の勝負を謳うプロ野球の裏では、狡猾なことを考える輩が昔からいたわけです。野球が複雑化した現代では、サインもより高度化しているのだろうと推察します。

 今回はストライクゾーンを縦横に九分割したサインを取り上げてみましたが、いつかカーブ・スライダー・フォークといった変化球のサインの騙し合い、探り合いなども書いてみたいところです。

※追記 25日午前の時点で既に正解者がいらっしゃるようで、安心しました。とりあえず正答率0%は回避することができたようです。

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