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サントラはすごい

 またぞろ『ペルソナ5』の話になる。

 サントラを聴くのが好きだ。読書や作業をするときのBGMとして重宝する。言葉の乗った歌ではどうしても歌詞の意味が頭に入ってきて邪魔になってしまうが、インストならばその心配がない。
 加えてサントラというのは、いくつかの主題の変奏であることが多い。同じフレーズを調性やリズムを変えることで、明るくしたり悲しくしたりする。一曲ごとに異なるサビやキラーフレーズが連発されるというよりは、複数の曲のなかに関連性があって、ぶつ切りになることなく自然につながりを持って聴けるのだ。これが、作業用BGMとしてはちょうどいい。そもそも映画やゲームのサントラは、でしゃばり過ぎて映像やストーリーを邪魔しないように作られているはずだ。少なくともゲームのサントラは、その特性上、延々と繰り返し同じメロディーを聴かせてもプレイヤーを邪魔せず、かつ飽きさせないように工夫が凝らされていることだろう。たかがゲームと舐めてはいけない。

『ペルソナ5』はサントラも素晴らしかった。最近は読書や作業中、もっぱらこれを聴いている。

 作中に少しずつ隠されていたフレーズがエンディングのバラードに結実していくところなどは、一連の作品として、とても感動した。オープニングをはじめ歌入りの曲が英語詞だったのが、エンディングだけ日本語詞になって意味が明瞭に迫ってくるのも、良い演出だった。

 とりわけ個人的にぶったまげたのは、じつはゲーム中盤に出てくるダンジョン「フタバ・パレス」攻略中のBGM『母のいた日々』だ。以下、若干のネタバレを含む。

「フタバ・パレス」は、少し異質な存在である。
 本来ならば主人公たち怪盗団は、歪んだ欲望を持つ悪党どもの精神世界=異世界に入り込み、欲望の根源たる「オタカラ」を盗むことで、悪党を改心させるという目的を持って動いていた。
 しかしフタバ・パレスの主、佐倉双葉は、のちに主人公たちの仲間となる味方側の少女である。あからさまな悪を働いているわけではなく、ただ母を死なせてしまったことに呵責を覚えて引きこもりを続けているだけの、凄腕ハッカー。
 世界的に有名な凶悪ハッカー集団から宣戦布告を受けた主人公たちは、なんとか双葉の力を借りてこれを迎え討とうと、双葉の心的な外傷を癒すために、ダンジョン攻略に挑む。

 パレスとは、その主が無意識下で見ている心象風景を具現化させた世界である。その人物が世界をどう見ているか。それが「見立て」となって立ち現われる。それはたとえば自らが統べる城であったり、見るものすべてが金蔓に見える銀行であったり、自らの偉業を称える美術館であったりする。
 双葉の場合、その心象風景は母の「墓標」であった。それも巨大なピラミッドである。

・冒険して敵を倒すことが目的の「ダンジョン」
・その主は「味方にしたい天才ハッカー少女」
・しかも「母を死なせてしまった悲劇の少女」
・それどころかモチーフは異世界の「母の墓標たるピラミッド」

 なかなかにごちゃまぜの無理難題のオファーではなかろうか。もし私が作曲家で、この劇伴の作曲を依頼されたとしたら、三日三晩は自室に引きこもって魘されながら悩むことだろう。

 実際に作曲家が提示した『母のいた日々』という曲を聴きながらピラミッドを攻略していくのは、それはもう強烈な体験だった。攻略を進める過程で、少しずつ双葉の抱える悲しみ、複雑な心の闇、そして母の死に隠された真相が明らかになっていく。BGMは勇ましく冒険するための軽快さを持ちながら、ふたつのコードを繰り返していくだけの単旋律でエジプト的(?)な異国情緒を備え、SF感、さらにはどこかしら追憶の物悲しさまで感じさせる。あくまで現代のサイバー少女が思い描く、異世界のエジプト感。いろんなものをごちゃまぜにした結果、冒険を盛り上げつつ邪魔しない、不思議な曲に仕上がっていた。

 一見して相容れないような要素を組み合わせてみると、思いもかけない斬新な産物が生まれることがある。以前、ショートショートの書きかたについての論考でも、似たようなことを書いた。

『母のいた日々』は、そのひとつの好例かもしれない。

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