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今年の創作活動

 活動自体は短期間ですが、note運営チームから届いたメールによると、今年の創作活動はこんな感じだったようです。

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 読んでくださった皆さん、有難うございます。

 ちなみに、個別の記事のビュー数でいうと、タイトルがいかにもネットらしいこの記事なんかは多いほうでした。

 この点から学ぶべきこともあるわけですが、どれもこれもが似たようなタイトルになってしまうのも悩みどころで、とりあえずは好きなようにやっていこうと思います。

 ところで、運営からのメールで、noteの投稿が「創作活動」と称されているところが、またいいですよね。ユーザーはみな等しくクリエイターというわけです。
 では、そのクリエイターとは何なのか。ふみぐら社さんの記事を興味深く拝読しました。

 私は普段、主に編集という仕事をしていて、媒体に載せる細々とした文章を書くことはあっても、基本的には創作物が表に出ない黒子のような立場です。

 そんな私でも、プロアマ関係なく、ただ一個のライターとして自由に「創作活動」ができるのはとても快適で、得難い環境です。

 また、ここでは誰かの担当編集でもありません。その点も非常に重要で、ともに楽しくフラットに、楽しみながら創作力の向上を目指す立場なので、強いて選んだり優劣をつけたりダメ出しをしたりする必要がないのも、心苦しくなくて気が楽です。

 対面で小説論を語ることができるならまだしも、顔の見えないネット越しに批評するには、とても勇気と知恵が要ります。基礎的な知識や小手先の技術は語ることができても、それを受けて書き手がどういう変化を見せるのかは未知数です。悪影響を与えてしまうことだって、もしかしたらあるかもしれません。
 だったら、書き手が意外と無自覚な良いところを共有して伸ばしていってもらえたほうが、私も面白い作品をまた読めることにつながるし、Win-Winではないか……。

 最近、そんな葛藤をしていたところへ、サトウ・レンさんが面白い掌編をお書きになっていました。

 思わせぶりなエピグラフから主人公の葛藤、そして切れ味があってゾッとするラストまで、面白かったです。
 サトウさんは書店員さんとのこと。いわば売れる本の目利きです。書店員さんたちの目に留めてもらえなければ、本は目立つところに置いてもらえず、スタートラインの時点で苦戦を強いられてしまいます。
 そんな目利きだからこそ、ご自身の創作が上手くなるのも道理。プロフィール欄にあるとおり「創作に手を出してしまい」楽しく書かれている様子を、いつも拝見しています。創作活動って本質的に楽しいものなので、手を出してしまったら最後、やめられないものです。

 興味深かったのは「ひどいダメだし」が「〈ぼく〉という存在がほとんど残っていない」作品にさせるというくだり。
 基礎的な知識や小手先の技術を論じたとき、その読み手がどう受け取って自身の創作活動に反映させるかは未知数で、論理によって十全に推測できる領分ではありません。受け手個々の感覚に委ねるところが大きい。だからこそ、その例を創作の形で示していただけたのは新しい発見でした。自戒を込めて、ハッとさせられる作品でもありました。

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