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【小説感想】 省略の美学

 最近、忙しさにかまけて小説の感想を書けていなかったので、移動時間を利用してかんたんに書きたいと思います。

 オルカパブリッシングさんの『殺さない屋』です。

 まず、ツカミが面白いですね。
 タイトルを含め、この作品の方向性を最初のパラグラフで簡潔明瞭、かつ面白く規定しています。

「足を洗うことにするよ」と殺し屋が周囲にこぼした。「もう、殺しはやめだ」
 狭い業界だ。噂はあっという間に隅々まで行き渡った。それは驚きをもって迎えられた。衝撃が走ったのだ。彼は業界内では伝説的な人物であり、今もなお業界内の最重要人物だったのだ。
「なぜやめてしまうんです?」彼の弟子は尋ねた。
「あまりに多くの命を奪いすぎた。悟ったんだよ。命はかけがえのないものだって」
「で、やめて一体何をするんです?」
「もう殺さない」彼は言った。「殺さない屋になる」
と、いうわけで、彼は殺さない屋に転身した。

私論」の目次にも書いたとおり「会話=ドラマの発生」です。せっかくの「殺さない屋」という面白い着想を、ただ地の文だけで簡素に説明してしまってはつまらない。その点、この作品の導入部は、会話を用いながら彼の立場や所信を簡にして要を得た形で過不足なく表現していて、とても面白い。ショートショートらしいキレと、省略の美があります。実際、このあと一人称の語りとはいえ、出てくる台詞は「今度こんな真似しやがったらただじゃおかねえぞ!」のひとつだけ。あとは地の文の語りで進んでいきます。この緩急がなんともいい。

 地の文の効用は、描写によって時間の経過を表現できることです。セリフの場合では、読者の体感時間は読む時間に比例して作中でも等速に流れますが、地の文では、たった一文にして作中時間を何時間でも何日でも動かすことができる(『私論』第三章「描写」および「会話」参照)。

 この作品の語りもじつにダイナミックで、殺さない屋が「いかに殺さないか」を突き詰めていった結果「そう来たか」と驚くような変化が起こります。やはり着想の勝利ですね。この大きな変化を鋭く切れ味のある短い文で読めるのは、ショートショートの醍醐味です。

 読後感は寂しいような虚しいような、でも決して悪くないような、不思議な味わいのある作品でした。

 

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