見出し画像

ASDと自分の関係を整理しよう

とあるきっかけで、私のASDのことを整理したくなりました。自分の頭整理用です。最後にも書きましたが未診断で自分の程度がわからないので(多分今測ると軽くでると思う)人様の参考にならなそうなことを先に謝っておきます。


遺伝かな?遺伝じゃないかな?遺伝かな?

まあ、発達は遺伝するといいますよね。あ、そういえば、最近のトレンドは発達障害ではなく神経発達症って呼ぶんですって。知ってた?

うちは、父親はほぼ黒だと思います。(無自覚&未診断)
というのも、うちの両親の馴れ初めは、父親が母親をストーカーしてて(話聞いてると、電話番号変えたのにまたかけてきたらしいので、ガチっぽいです)それで結婚する母親もどうかと思いますが、ASDじゃないのにストーカーする人いるのかな。いるか。
まあ、あと私の幼少期に、父親は私に異様に無関心だったので、 ASDってことにしたいです。健常者だったら逆に怖い。
母親の方はどっちかなぁ?と思います。異様に自己中で精神的に幼いですが、母親の母親は、母親自身よりさらにやばそうな毒親だったので、そのせいって感じもします。ただ、双極性だからって子供に当たり散らしていて、それを「やばい!」と思わないのは、そこはかとなくASDの匂いはする。

診断意味ありますかね?

まあまずASDとADHDは分けて考えてほしいです。私は ADHDはほとんどないし、学校の勉強はできないというより、やってなかったに近い感じでした。自分でいうのもなんだけど、真面目にもしやる気を出してたら、そこそこいい大学いけてた気もします。まあ成績だけで見るもんでもないけど。
何が言いたいかというと、ADHDの人がお薬飲んでることを分けて考えてほしいです。

ASDは薬でどうこうするものでもないと思ってるんで、大人になるとあんまり診断があっても仕方ない気がします。ただ、そっか私は統合失調症で手帳持ってるけど、手帳欲しい人とかは診断してもらってもいいか。

暗黒の学生時代

大学はまたちょっと違いますが、正直高校までは暗黒でした。
ただ、何が一番辛かったかと言うと、学校の先生の「友達がいないやつは異常」みたいな目線です。別にいなくてもいいじゃんと言ってくれればいいのに、休み時間に一人でいると、急に「私はいじめられてる」ということに勝手にされてて、一人でいいのに、みんなで仲良くしましょうと言う強制力が発生するやつ。今は違うのかな?今もそうな気がするけど。あれやめてと思いました。
仕方なく、余ってる子と仲良くしたり、とにかく入学式とかオリエンテーションで死ぬ気で友達を作りましたが、やっぱり難しかったです。
あと、高二のクラス替えで友達全員と離れ、修学旅行が地獄でした。(家の宗教の関係で行かないという選択肢もとれなかった)

まあ、で、何が一番難しかったかなぁというと。
世の中、先生の言う事が正しいわけではないし、悪気がなければいいとか、自分がされて嫌なことをしなければいいとか、そんなもの、ASDは当てにならん ということですかね。

まあ私クソ真面目だったし、空気がとにかく読めないんですよ。私は一生懸命やってるのに、気付いたら嫌われるようなことをしてるという。

しかも、親が常識なかったのもあって、優しく注意してくれればいいのに、先生とか大人とかでも「なんでそんなこともできないの!」ってキレてくるんですよね。なんでこんなハードモードなんだか。
私なんて小学生の時雑巾の絞り方もわからなくて、よくびちゃびちゃにしてましたから。たまたまやってたひとりでできるもんって教育テレビの番組を見て、やっと絞れるようになった。確か小学校四年生くらい。

ただ、やっぱり親にめちゃくちゃ常識がなかったってデバフも大きいですよね。

私は他の人みたいに、一生付き合える友達とか、人間関係に肯定的になることはとっくに諦めてますけど、ただ、一個真髄みたいなものがなるとしたら
人間関係は加点式ではなく減点式 ということですね。
つまり、何か相手を喜ばせる必要はなくて、相手が不快にならないように気をつければ十分です。あと、子供の頃の私に言うなら、友達なんか作らんくていいというか、まあ作ろうとしなくても無欲の勝利が起こるから平気平気ということです。ただ、先生が「この子いじめられてる」っていちゃもんつけてくるのだけやめて欲しい。

だから、なんかASDの人を健常者に「矯正」するって考え方自体が私は好きじゃないです。

まあ私のやり方としては、私だけかもしれないですが、記憶力みたいなものは異様にいいので、やっちゃいけないことリストが脳内に大量にあるってことですね。あと、私はおしゃべりなんですけど、やっぱりあんまり自分からぺちゃくちゃ喋らない方がいいです。相手の地雷の場所とか全然わからないし。

まあ、高校生までの私は、余計なことにリソースを割いてた気がします。ただ、何もしない置き物でいて、相手を不快にすることや変なことをしないようにするだけでいいのになぁと思います。でも、うちの父親とか「変わっていることはいいこと」ってタイプなんですよね。それで目立ったり変なことするのはいいことだと結構ずっと思ってて辛かったです。うちの親なんなんだよ本当に。

ASDを個性とか言うのも、嫌いです。ただ、人様の表情が読めない私たちにも戦い方みたいなのはあると私は思ってます。

如何に想像力を鍛えるか

これ、完璧になる方法でも、友達を作る方法でもなくて恐縮ですが、トラブルを避ける方法にはなると思います。

私はHSPでもあるので、フィクションとノンフィクションの見分けがまったくつかないという性質があります。

この特性を逆に利用して、色々な作品を見まくることで、想像力を鍛えます。

そして、脳内に現実のコピーのシミュレーターを作るんですよね。相手の言葉尻から喜んでるか怒っているかを捉えることはASDにもできるので(多分本とか読んでてキャラクターの心理がわからないということはないと思うんですけど、重いとそのレベルになるのかな?使えない方法だったら申し訳ない)何を言うと相手が喜び、何を言うと相手が怒るかのデータを取り続けて、脳内シミュレーションの精度をどんどんあげます。

これを極めると、相手の性格も結構すぐ読めるし、このタイプはここを気をつけようとか、ここをつけば多分いい反応が得られるなとわかるようになると思います。

まあこんな力技を使ってるせいで「人に好かれたり嫌われたりって結局想像力があるかないかのただの技術だよね。思いやりって聞くと天性のものとか愛とか好意の表れって感じするけど、ぶっちゃけすげぇ嫌いな人を気持ちよくすることも、逆もできるよなぁ」と見たくない現実は見せられておりますが。

簡単にいうと、ASDの人にはシステム1に(ファスト&スローという本から。直感みたいな部分)人の表情を感じる能力が欠如してるみたいなので、それで相手を怒らせてしまうということだと思うんですけど、システム2(理性みたいな部分)でこういうことを言うと怒らせて、こういうことを言うと喜ばせられるということを練習することで、システム1で同じことができるようになってくるんですね。

ただし。
これすげー疲れます。まじで人と会うと頭フル回転トグル最速なんで、正直、好んで誰かと仲良くしたり友達を作るのは私はやめました。

普通に「見える」と、普通に「なる」

まあ、そんなこんなで、まだ人の話を遮っちゃうという癖と(最近までダメって知らなかった)、早口(もはやASD関係ない)は全然治らないですが、たとえばよくアスペという言葉で思い浮かぶような、ひたすら人が不愉快になることを連発して、ハブられたり嫌われるようなことはなくなりました。

ただ、私は今だにそういう夢とか見ます。たとえば、私が知らないところで他の人たちが結託して、あいつはハブろうと話している、とか。直接的ではないけど、「えー、なんでやめないの?おかしくない?」みたいなことを遠回りに言われる、とかそういうやつです。
そういうことが現実ではまだ結構ありますよね。大人になってもそういういじめはあります。私はそういうことに異様に敏感で、それこそよくいう「挨拶がなんか不機嫌だった(気がする)」だけで、「また知らず知らずのうちに人を不愉快にしたね?!」という方に思考が行きます。正直、これをポジティブにするのも違うと思います。ASDである限りいじめられるのは宿命です。

ただ、現実では、私はギリギリまとも側の方に入れていただくことが増えました。こういう書き方をネットでして大丈夫?かとも思いますが、正直「ASDだから仕方ない」ってあんまり甘やかさない方がいいと思います。これ、私の母親が双極性だからすごく思うんですが、人間、不愉快なもんは不愉快です。病気だから仕方ないと周りが我慢していたら、いつか爆発してその人が離れていってしまうだけです。
それなら、私たちの方が努力して、不愉快にさせないようにするべきです。不愉快させたら謝って、何がダメだったのか聞いて、改善したらいいじゃないですか。親とかそういうの付き合ってあげればいいじゃないですか。うちの親はなんもしてくれなかったけどな!

まああと、みんなの真似しとけばいいです。よくわかんなくても変わったことはしない方がいい。目立たないように。地味万歳。

とにかく、まあ演技ですよね。完璧にはできなくても、及第点までASDの人が普通の人間に「見える」ようにすることは、私は努力でできると思います。練習すればできるようになります。ただ、人より経験が必要ということだと思います。私は何人不愉快にしたか…。まじで。

ただ、普通の人に「なる」のは無理だと私は思ってます。 ASDは治らない、ということでしょうか。普通の人のようなことがしたい。普通の人の当たり前が私もほしい。と今でも思いますしずっと思ってきたので、気持ちはわかります。ただ、あくまで外側を取り繕うことしかできないので、完璧な演技を身につけても、少し虚しいだけでした。20代の前半の頃とか、完璧に演技したらそれはもうASDではないのと一緒では?!って思ってましたけどね。そういう考え方もあるとは思いますが。

ゆうて一口にASDといっても

程度の差が特にASDは大きいと思います。IQでは測らないのかな?とにかく、もう普通の人向けの学校なんて絶対無理!みたいな人がこの記事読んでも参考にならないと思いますし、正直、ゆーてお前は克服してるんだからもともと軽かった!と言われると、反論できません。検査してないしね。
ただ、小学校から高校までの暗黒さや、基本的にずっとクラスメイトはいい子ばかりで、いじめというより扱いに困るという感じが多かったのは幸いしているかなって考えると、結構重たいと思います。まあただ、親の非常識がかなりでかい気もしますが(いやでもASDの親ってASDなこと多いから、非常識なこと多くない?

一個思うのが、私の母親のような性格の人が(ここ大事、どの親でも意味じゃないよ)私のASDに気付いて、私が子供の頃に診断を受けなくて、ほんとおおおおおによかったと思います。
私の母親は、そういうのを「無理やり全部健常者が我慢する」のがいいと思うタイプなので、何をしても「あなたはASDだから仕方ないのよ。相手が悪いの」と言われていたでしょう。ちょっと想像しただけでゲロ吐きそう。
なんか、そういう状況にいれば、一生矯正できないと思います。ただ、一生健常者に嫌われて、作業所や障害者雇用でしか社会参加できないのは辛いです。まあ私みたいにウーバーとかしてもいいですけど、ある程度普通のアルバイトくらいはできないと、なかなか正直難しい部分も多いです。
もし、そうやって周りが甘やかしてると思ったら、それはやめてもらうか、甘えないようにした方がいいと思います。うちの母親はすげぇ頭悪いんで使い物にならないですけど、もし可能なら甘やかさないできちんと普通の人と同じように扱ってほしい。できれば優しく注意してほしいと頼んでみてもいいかもしれません。

最後に

実は辛いのはバイトを始めるまでだと思います。社会はお金を稼ぎ始めると急に人間の評価基準が仕事ができるかになります。ちょっと問題があっても、まあ仕事できるからOKと急になるのです。あの学生時代の地獄はなんだんだったんだろうってちょっとなりますよね。
逆に、今まではなんとかなってても、急に仕事ができなくなるとハブられたりいじめられたりし始めてしまうので、そこは気をつけた方がいいかも。でも、ASDのグレーゾーンくらいの人って、意外とみんな仕事できるよね。
私は、臨機応変が苦手だったんですけど、その仕事の優先順位や、絶対やってはだめなことと謝ったら許してもらえるミスをわけて、絶対やっちゃだめなミスだけをやめるようにしたらだいぶよくなりました。ただ、テキパキとかは苦手。これASD関係ないか。

ADHDのことはわからないのですが、自分のASDについては、意外と能力的にへっこんでるとこもあるけど、出てるところもあるなと思うことが多いです。私の場合、ウ・ヨンウちゃんってドラマ見てて気付いたんですけど、あんな完全記憶能力とかはないですけど、多分人より記憶力みたいなものはいいと思います。一回したミスは滅多にしないし。人間よりコンピューターに処理としては近い気がしますね。あとは、単純に人生がハードだから鍛えられるところもあるし。
ただ、世の中が「いかにへっこんでることろを埋める」という目線しかないなぁと思います。あの、芸能人も発達なんだ!キラキラ!ってなるのは絶対違うし。あんなの一握りだし。
まあ健常者からすると、出てるところを生かすとかはよくわかんねぇんだろうなぁとも思います。

ではまた何かの記事で。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?