あなたの「常識」それ本当?

先日、とある友人とお会いしていたら、会話の中でいろいろ思うところがあり、自分の中で引っかかるので、エッセイにまとめることにした。

その友人とは、かなり親密な間柄であり、私より年長であられ、いつもお世話になっている。物腰が柔らかく、気遣いのある紳士だ。

困ったもので、私は、ある人をいくら好きであっても、その「考え方の一部」に受け容れ難いような部分があると、気になってしまう。そのモヤモヤを言語化することで、少しでも自分の気がラクになったら良いな、というのが本稿の目的だ。

もちろん、発表するからには、私のヘンテコリンな思考回路を、読者にも楽しんでいただきたい。むしろそちらが重要でnoteに発表している。

この友人とは、ふだんから、かなりいろんなことを話す。基本的に趣味嗜好が近いので、そういった話題はとくに楽しい。また、彼は人生の先輩であり、世間話から心の内面まで、いろんな話のできる、得難い友である。

ただ、すこし前から、私の中で「うん?」と引っかかっていることがある。その話題について彼と私とで見解が違うため、さいしょ、意図的に聞き流すようなことをした。

ところが、最近、また同じ話題になってしまい、二度も聞き流すしかなかったので、こうしてコッソリと文章化する流れになった。なお、別にこの件で彼の人格を否定しようとか、意地悪な意図は全くない。

なんの話題かというと「トランプ元大統領」のことだ。世間でも「政治と宗教の話はタブー」みたいに言われるアレを体験してしまった。

私が困ったのは、相手が「人類の全体がトランプ氏を悪だと思っているかの物言いをしていること」だ。しかも、その論調が当たり前のように話が続いたので、すごくモヤモヤしてしまった。

これが本人の目についたら、さぞ気を悪くされると思うので、さすがに言えないでいるのだが、だからこそ、ここに書いている。

じつは私は、会話術みたいなものを持っていて、人とトラブルが起きそうなときには、ある程度、意図的にその流れを制御している。

どうして身につけたのかは分からないが、流行りの「メンタリズム」みたいなものだ。双方のためにならぬ話題になった場合、私は相手に悟られぬよう、意識的に話をミスリードしたりする術を使う。

先の話題について、私は、下手に反論すると揉め事になると予感したので、あえて反論せず、ただ聴くという姿勢に徹した。押しの強い私にしては珍しい態度なので、それだけ相手を大切に思っているということだろう。

私は、政治において「善悪」などというものは存在しない、と考えている。これはわりと深いテーマで、あやうく話題を広げ、もっと掘り下げたくなる誘惑があるが、今はこらえよう。

ともかく、友人が、自分の持つ思想を、あたかも「全人類の常識」のごとく論調で、しかも二度も私に話してくれた。それを聞き流すのが、私の中では、けっこうしんどかった。

たとえるなら、赤色を、青だと主張されながら「ええ(私には赤く見えるけれど)たしかに青ですよね」と合わせるような気持ちであった。

じつは私は、トランプ元大統領を「好き」だと認識しているのだ。彼の政治手腕についても、どちらかといえば認める側だ。漫画的なカリスマ性を感じている、とでも言えばよいだろうか。それなのに。。。

(※ 私は決して、人が死ぬことや、戦争が起きそうなことを好むほど倫理観が低いわけではないので、そういう誤解を与えてしまったら恐縮です)

友人批判じみたことを書くのは気が引けるのだが、あえて勇気を出して続きを書こう。

というのは、さきの友人が、なぜあれほどまでにトランプ氏を「絶対悪かのように決めつけているか」ということに強い違和感を覚えるからだ。

歴史の大局において、一見、悪者に思える人物、たとえばヒトラー氏。彼の「善悪」を裁く権利は人類には無いはずだ。倫理的にみて悪だ、という感情は私にもあるが、彼が果たした何らかの「役割」があるとも思う。

その「役割」のことを言いたいのだ。

私はキリスト者なので、誰かを裁く完全な判断の権利というものは、全知全能の「神」にしか許されないものだと考えている。

もちろん日常生活では、私もよく他人さまを、善悪で裁いている。そのことは自分の中で、とても罪深いことだと認識しながら、やってしまっている。

ところが、先の友人氏の論調では、どうも「トランプ氏は悪だ」から始まり、かつ、私もそう信じているような物言いであった。

うかつに私が反論しようものなら「最終的に友人関係を破壊しかねない次元の論争になりかねない」という危機感を覚えた。

相手は年長者だし、おまけにわりと、ひとクセある方である。(失礼ながら、その点は、ご自身でも私にそう仰っていたし、私も同感なのであえて書かせて頂く)

これまでの付き合いから、彼はたぶん、ご自身の持っている主張に強いこだわりがあり、あまり柔軟に変えるタイプだと思えない。また、私もそうだ。なのでこれを突き詰めれば関係が破綻するのは、予見できてしまう危機だ。

そんなわけで、不遜な言い方だが「やむなく衝突回避のため、無言を貫いたが、モヤモヤするのでエッセイという形で愚痴る」形を取ってしまった。

さらに突き詰めると、彼の持つ「信仰観」と、私の持つそれとに、大きなズレがある。そして、それを話題にすると、最終的には、それこそ友人関係にヒビが入ってしまうと私は思っている。

同じキリスト者なのにだ。

ものすごく乱暴に言えば、私は、彼の信仰スタンスをあまり好きじゃない。理由はたぶん、私のほうが極端なほどに神重視の考えを持っており、彼はもっと「ゆるく」考えているからだろう。そして、その穴は埋まるものでないと考えている。

さらに不遜なことを言うと、私は自分のほうが「熱心だ」とさえ思っており、他の、熱心でないように見える信徒を内心で見下している気持ちが確かにある。

これは自分のイヤらしいところだ。

ただ、彼の、政治家に対する物言いの雰囲気は、極論すると「自分を神と等しくしているような印象を受けた」ので、おそらくそのことに私は強い違和感を覚えたのだろう。ようやく言語化できてとてもスッキリした。

…ただ、このことを口にしたなら、それこそ宗教戦争になってしまうのではなかろうか。

なので、奇しくも、よく言われる「政治と宗教の話はするな」って本当だなあ。と思った次第。

おなじ信徒どうしですら、見解が一致しない部分があるから、うかつなことは言わないほうがよさそうだ。むろん「根っこの部分」における解釈は合致しているのだが、枝葉のズレで揉めるのは誰の得にもならない。

「それって本当に常識なの?」という問いかけから、私自身が持つ心の問題を発見することができた。なので、書き始めた自分の狙いそのものは達成できたと思う。

表題と、中身がちょっとかけ離れたようなものになってしまったが、あえてそのままにしておいたほうが良い気がするのでそうする。

ただ、内容が重くなりすぎてユーモアに欠けたことは反省している。

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