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近況:久々のステージ
はじめに
初見読者のため、いつも簡単な自己紹介をしてます。
現在48歳、IQ高め(WAIS 言語120)の運動オンチ(動作100)、発達障害当事者(ASD>>ADHD)、大腸がんサバイバ(切除済、再発なしだが後遺症で普段は寝たきり)、現・在宅ワーカー。元SE。
二次障害で双極性の診断済み。精神手帳2級。わりと人生キツイです。
双極性障害が最もやばく、仕事が長続きしない。SEとしては(自称)そこそこ有能だったが、季節の変わり目に頭がおかしくなるので数年前に会社勤めは引退。その後、彷徨っていた。けれど、半年くらい前から特殊な在宅ワークに恵まれ、何とかお小遣いを稼げるようになり、経済面がやっと落ち着きつつある。
20数年ぶりのライブ:それに至る経緯
実は私はプロ目指して渡米(2004年)したほど、わりと真剣に音楽をやっていた。その前に、インディバンドで1年ほど活動した。「ギターを極めるのが難しい」という理由から、本業はヴォーカリストで、インディ当時は、作詞作曲やバンドコンセプト決定など、いわゆるプロデュース的なこともしていた。
当時は今ほど発達障害等の知識もなく、漠然と「生きづらさ」を感じていた。フクザツな家庭出身だったので、自尊心も低く、そのくせ完璧主義なので、インディバンドが好評で「お客さんが100点と言っても俺は60点しか取れない」と思い込んでた。それで解散・渡米し「プロの音楽家になることで自分の人生に価値を作ろう」と願った。が、挫折。以降、精神科に通うほど混迷の人生。
けっきょく「プロになりそこねた」ってことで、不貞腐れて、一時は音楽を聴くのもイヤだった。何度も死にかけたが、神が死なせてくれず、しぶしぶ人生を引き伸ばして今に至る。
そんな私だったが、「バンドしたいな」って気持ちが年に数回、訪れる。そして、半年くらい前からあるバンドに参加させてもらった。
コピバンで「音を楽しむ」
それまで、人生を棄ててヤケクソになっていた。就業しても、どうしても続かない。何も生きがいがない。
ITに関しては、小学校からプログラミングを趣味でしていた。家でも毎日のようにパソコンで何かしていたので、筋金入りだった。しかしSEの仕事ってのはイカレていた。というのは「100人、有能な大工(PG)を入れるから、1ヶ月で百階建てのビルを作ってくれ」みたいな感じの無茶な仕事が来る。
生真面目でキチンとしようとすると、ビョーキになる。これが最近の結論だ。誤解を与えずに「高IQ障害者」視点で傲慢なことを言わせて頂くと、本物のエリート以外は、ある程度、変な要求であっても雑に与えられたことだけしてたらいいらしい。それができぬ私は、社会で人に使われるのに合わないのだ。
それで「もうIT業界は無理だよなあ」ってなってた頃、幸い、ガンになった。身体が壊れたので、通勤しない言い訳ができた。心底ほっとした。ただ、小遣いに困る。障害年金を頂いているが、月7万なので、実家で細々と暮らすしかない。
そんな折「現職」に恵まれた。とある企業の商品レビューの仕事で、報酬は「現物(商品)」なんだが、月に数十万円ぶんの様々なモノを頂ける。これで生活はかなり安定した。
そんな折、いまのバンド(大好きなTHE YELLOW MONKEYのコピバン)に入れてもらうことになった。私は本業がVoだが、ギターも少し弾く。たまたまギタリストが居ないバンドさんと知り合い、そこに入れて頂いた。(トプ画の長髪が私です)
こちらは、もともと「音楽好きなみんながマッタリ演奏する」というスタンスだ。これまで、プロ目指し気負ってやってきたが、今回ギターだし、皆さんプロ志向ではないので、私もほどほどに(といっても気合は入れて)演奏している。ああ、これくらいのほうがラクでいい。「音楽」ってこういうことか、って思った。
初めてのライブは大盛況
活動は月イチ程度。私はプロ崩れなので、耳に自信がある。バンド経験も豊富なほうだ。そんな私が当バンドの自己評価をすると。
Vo:パフォーマンスは「普通の人」寄りだが、歌唱力は高い。
(もし彼の歌がうまくなければ、ヴォーカリスト視点で不満になってたかと思う)
Ba:「楽譜がないと弾けない」そうだが、普通に演奏できる。
Dr:わりと上手い。バンド内での音楽スキルは高いほうだと思い信頼してる。
Gt(私):ギタリストとしては未熟だが、数年ぶりにしては頑張ってる。
かなり失礼な表現になるが、アマチュアバンドの演奏ってピンキリだ。スタジオで実力はすぐ分かる。初めて合わせたとき「思ったよりいいじゃん」と上から目線で感じた。というのは、曲が曲として成り立っており、録音しても「ふつうに聞こえた」からだ。(下手だと「ふつうに聞いてられない感じ」になる)
ので、私はこのバンドを続けさせて頂きたいと思い、今に至る。リハ時に、曲が曲として成り立つ。つまり「スタジオで練習」ではなく、スタジオで「本番向けのリハーサル」という形が成っていた。それができないなら低レベルであり、ウチは中の中〜上くらいだと思う。
そのうち、リーダーさんがライブを組んでくださった。それが先日6/29のこと。ライブバーと呼ばれる、小さめのハコで、カウンターやテーブルでお客さんが飲食し、狭いステージで演奏が行われる。こういう場所も初体験だったが、PAもしっかりしており、思った以上に「出音(客席で聴く音)」も良かった。
観客は出演者がほとんどで、演者の呼んだお客さんもチラホラ…という話だったが、思った以上に皆、お客さんを呼んでくれたらしく、たぶん我々の出番には30名くらい居た。
私は今のバンドでまだ「正式メンバー」と名乗っていない。自分の感覚では、まだサポート・ギタリストだ。打ち合わせで、Voさんがヴォーカリストとしての役割(パフォーマンスやMC)をどこまでできるか不明だったので、「Vo経験者だがギタリスト」の私がどう振る舞うべきか、けっこう思案した。
Voのサポート(客を煽ったり)を、Gtの私が「出しゃばらず」どこまでやっていいかがわからなかった。けど、ある程度はサポートしていい許可を頂いた。で、Voさんが、彼の個性で「まったりと」MCされるのに被せる形で、わたし持ち前のハイテンションでお客さんを煽ったりして「ライブの雰囲気」を作らせてもらった。
結果として、まったりVoと、目立ちたがりGtの良い絡みが生き、非常に良いケミストリーが生まれた。私だけだったら煩かったかもしれないが、Voさんが柔らかい人柄で場を和ませ、笑いも生まれ、緩急バランスの良い雰囲気であった。
序盤は激しい曲で一気に盛り立て、中盤にゆるめの曲。バラードでシットリさせ、最後にアツい曲で爆発。奇跡的に、お世辞抜きのガチ「アンコール」が自然発生したので、最後まで演奏させて頂いた。手前味噌だが本当に、メンバーとお客さんに助けられ、こちらも楽しくノって演奏させて頂いた。本当に楽しかった。
1.SPARK:ハイテンション
2.TACTICS:お客さんをノセる
3.追憶のマーメイド:まったり名曲
4.太陽が燃えている:アツい曲
5.JAM:有名なバラード
6.BURN:熱い炎で絶好調
アンコール(LOVE LOVE SHOW)
感想とこれから
正直、思ったより楽しかった。インディ時代、かなり気負って尖っていた頃に比べ、緊張しながらもリラックスして演奏できたと思う。(当時も「感触のいいライブ」はあったが、私が丸くなった分、違った楽しみ方ができた)
何より痛感したのは「俺ってこんなに音楽スキだったんだな」ってこと。これは、対バンが他に3つあったので、客席で観させてもらったのもある。それに、ああいう「音楽好きの集まり」という場も数十年ぶりだったので、気になる方と連絡先を交換したりでき、それも懐かしい体験だった。
ライブ後、メンバー達には「今後ともよろしくお願いします」と伝え、皆にもそう言っていただき、できれば無理なき範囲で続けさせて頂きたい。
と同時に、願わくば、私は、やはりヴォーカリストとして、無理のない範囲で、コピバンとは別に、もともとやっていた自分のバンドも立ち上げたいな。と思っている。(こちらは「ライフワーク」として)
器用貧乏なので、手を広げすぎて破綻せぬよう、気を付けてやっていきたい。
ライブの動画を見てもらったら誰も理解できないと思うが、さしあたっての課題は「体力」だ。全盛期の2割くらいしか今、体力が無い。つまり、十段階で、インディ当時が10/10だとしたら、今の私は2/2(上限が2)である。誇張でなく、加齢と病気でこうなってしまった。だから、せめて体力上限を5くらいにし、5/5の全力で音楽できるようになりたい。
言いたいことは山ほどあるが、長くなるので、いったんこのあたりにさせていただこう。ライブの動画も、きちんと「外向け」のものができたら、メンバーに許可いただき、発表させていただきたいと思っている。
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