見出し画像

渋谷に獅子舞は生息できるのか?時間・空間に余白がない街で「生活の豊かさ」を考える

東京都渋谷区といえば、何を思い浮かべるだろうか?スクランブル交差点、109やH&Mなどのファッション、ベンチャー企業、グラフィティ、ハロウィンの仮装…。この土地に伝統文化が根付くことはなく、生まれては消える水泡のごとく常に流行が目まぐるしく変わる。住む場所というよりは仕事場であり消費地という感覚も強い。

このような特性を持つ渋谷で、獅子舞を制作してみたい。渋谷区に家を一軒一軒回る門付け型の獅子舞は存在しておらず、その生息可能性は極めて低い。それでもあえて、その生息可能性を考えたいのだ。新しいタイプの獅子舞を生み出せるのではないか?という期待とともに、渋谷の街に降り立った。2022年8月13日~17日の期間、100BANCHを拠点として滞在制作を実施。獅子の歯ブラシのメンバーである稲村の視点で渋谷での滞在を振り返る。

画像10

獅子の歯ブラシとは?についてはこちらの記事をご覧いただきたい。

空間は変え難いが、人の流れなら変えられる

渋谷は様々な事象が行き交うため、なかなか「渋谷の獅子舞」を形成することは難しい。ただ、人に対する無関心や空間的余白の無さが顕著なので、獅子舞の生息可能性を考える上で、何かしらこの流れに逆行する必要性を感じた。

そして、「空間は変える事は難しいが、人の流れならば変えられるかもしれない」という仮説を立てた。獅子舞が例えば円(縁)を描くようにぐるぐると回るならば、誰かが乗ってきて、それに加わってくれるかもしれない。あるいは、エスカレーターをただ上るのではなくて、裾が長い獅子舞を作ればその裾を握ってくれる人が現れるだろう。こんなふうにして、獅子舞独自の空間を立ち上げるのだ。

場所としては、秋田由来のハチ公がいる待ち合い場所やエレベーターホールなど、人が一時的に滞留している場所にわずかな隙間時間があるため注目してもらえる可能性がある。その空間を獅子舞が一時的に占有することで舞場が形成されるかもしれないと考えた(8月13日)

画像6

渋谷には拾えるものがない

そのような考えを起点として、獅子舞を作り始めた。そして気づいたのは、「渋谷には拾えるものがない」ということ。

前回の秋田のように田舎で創作すると木々や葉っぱなど使いたいものがたくさんあるのだが、渋谷の道端にあるのは異臭を放つゴミだけだ。獅子舞という有機的な生き物を制作しようとした時に、渋谷はアクセスしにくい土地性を持つ。

それならば新しくお金を使って買い物をしなくてはならないということで、百貨店の缶、布屋の布きれ、エビスビールの缶など渋谷らしいものをチョイスして購入した。結果的に無駄になってしまった購入品は多かった。

獅子舞制作はやり直しの連続

まず、獅子舞づくりのアイデアとして、胴体にQRコードを貼り付けるというアイデアが出てきた。渋谷のあるエリアの会社情報を徹底的に集めたもの、あるいは読み込んだらその人数だけがカウントされるものなど様々にあり得るだろう。ポイントは獅子舞によって何らかのコミュニケーションが生まれること。QRコードを読み込むことが獅子との対話を作り出し、獅子が頭を噛むように厄払いを畳み掛けるような行為として捉えることが可能かもしれない。しかし、結果的には既に構築されたQRコードを表現として全面に出すつまらなさを感じてしまい発想は振り出しに戻った(8月14日)。

方向転換して編みの目のような布を買い、それで領域展開をして猟師のように空間をハントすることを考えた。「獅子舞空間」を取り戻す運動である。あるいは、これは「厄を捕まえる行為」と言えるだろう。ビジュアル的には獅子を上顎と下顎に分けて、上顎が東急百貨店で買ったお菓子の缶を持つ稲村、下顎がエビスビールの缶を持つ工藤さんとして、胴体の中心にそれをコントロールする船山さんという構図を考えた。しかし、結果的には上顎のお菓子の缶も下顎のエビスビールの缶も使わなかった。布と缶を合わせてみたところ、あまりしっくりこなかったのだ(8月15日)。

渋谷の流行がコロコロと変わるように、獅子舞の制作方針もコロコロと変わらざるを得なかった。ただ、獅子の胴体を共有してメンバー3人で渋谷の大きな厄に対抗していこうという姿勢は変わらなかった。

画像7

昔の渋谷には「ご近所づきあい」が存在した

近くの氷川神社を散歩してみた。そこで相撲場の跡を見つけた。プロの力士だけでなく、地域の人々が集い、レクリエーションとして相撲をしていたという。渋谷で「最もご近所付き合いが盛んな場所」だと思った。これほどまでに獅子舞が生息しやすいような空間が渋谷の外れに存在していたのだ(8月16日)。

画像5

最終的に行き着いた獅子舞の形

<稲村のシシ>

自分がワクワクすることをしようと投げやりになり、自分が最終的にたどり着いたのが女装だった。化粧をして完璧にメイクを仕上げた自分は、都合よく着飾るという自分では無い何かに変体するという獅子舞と似た性質を感じたのだ。手にはめる手袋は百貨店の高級品を扱ったりエレベーターガールが身につけていたりという妄想を掻き立てる。

自分はセクシュアルマイノリティでは無いものの、女装したことでジェンダーの壁を超えた新鮮さを感じるとともに、まるでファッションの最先端を行くような気がした。加えて雌獅子や雄獅子といった獅子舞の性別をも乗り越え、獅子舞の世界においてもマイノリティと言えるような獅子舞が誕生したのだ。

画像1

<工藤さんのシシ>

一方で工藤さんは神社のようにじっとして動かないで厄を祓うシシを作った。足早に歩く人々や流行の過ぎ去る速さなどを渋谷の特徴とした時に、動かないことが信仰に繋がるのではないかという発想から生まれたのだ。一次産業的な素材がない渋谷において、ユニクロで訳あり品を購入して切り裂いてそれを繋げ、頭の上から被った状態でのパフォーマンスを考えた。

画像2

以上のように、僕と工藤さんのシシは、氷川神社の古い文脈から109やH&Mまでの流行の最先端の思想を含んだものとなった。2人とも手には扇子を持ち、獅子舞の舞場とそれ以外という風に境界を分けるようにしてそれを操った。扇子は厄払い動作を意味するとともに、獅子舞をする時のみ展開できる便利道具としても機能したのだ。

<船山さんの音>

一方で船山さんは渋谷到着前に南三陸から茨城にかけて岬めぐりをしてきた時の音を採取して、それを渋谷の音と重ね合わせて4秒×8小節=32秒のサウンドを8本製作。獅子舞の演舞を区切り、操るようにそれらを鳴らして歩いた。曲名と素材は以下の通りである。

1.アガル:岬の「気温が高いので気をつけましょう」という町内放送+ライブハウスの声+お気に入りの飲み屋紹介
2.language:カモメの声+英語
3.living in silence:静寂+静寂
4.can to can:カモメ+缶を捨てる(カンカラカン)
5.invisible drummer:砂利+高架
6.last night:「昨日の台風すごかったよね」
7.refrain :岬の町内放送+バイク→電車の音と相性良い
8.layered shibuya:カモメ+スクランブル交差点

※岬のカモメは渋谷の人間との対比を意味する

画像3

渋谷駅周辺で16回の演舞

獅子舞は8月17日の夕方から夜にかけて実施した。酔っ払いが増えて、街が荒れ厄が強くなる時間帯である。今回、稲村と工藤さんの2頭の獅子を布で繋ぎ、中間に船山さんが入って領域展開をした。これは空間的な余白のない渋谷において、一時的にでも獅子舞の生息域を作り出すということや、厄を捕らえる現代的な猟を行うというイメージを掛け合わせている。演舞は合計で16回行い、渋谷駅ハチ公前、センター街、氷川神社境内などを回った。

<演舞の場所と回数>
109前 1回
スクランブル交差点 2回
ハチ公前 1回
センター街 1回
井の頭通り 3回
ハチ公駐輪場(トンネル) 1回
のんべい横丁 2回
宮益坂 1回
スクランブルスクエア 2回
100BANCH前 1回
氷川神社 1回
(合計16回)

演舞の後、改良湯のコインランドリーで獅子の葬儀を行った。厄をまとった獅子は現代的な洗浄機の中でその短い生涯を終え、厄払いは完結する。しかも、改良湯にはクジラのモチーフが描かれており、船山さんの岬めぐりの時に出会ったクジラスポットなどともシンクロした。

画像8

20時ごろに始まり、22時半ごろに終わるという約2時間半の演舞だった。そういえば後日、記録映像を確認したところ、最後の神社のシーンの舞うところだけ撮れていなかった。大きな牛蛙が現れたり、音源が切れたりしていたのでそれだけで奇妙ではあるが、まさか記録映像まで途切れるとは驚きである。不思議なこともあるものだ。

暴言を乗り越え、異質な空間を形成

獅子の歯ブラシなりの獅子舞を演舞したことで、とにかく異質なものが渋谷の空間に立ち上がった。全体としてYoutuberの見世物とは違うしっかり作品として見せたい意図を持って実施したので、どこにも分類されないような異質さを体現できたようにも感じる。

初っ端の109前から私有地で演舞を実施したため、警備員が駆けつけて「やるなら駅前でやってください」と言われたし、「邪魔だ」などと言われた。私有地を公に対して解放する様な寛容性はなく、演舞の難しさを痛感した。それから体全身に力が入り、渋谷の街を睨みまわす様に強敵に相対する感覚が発生した。

最もトランス状態になるのが難しかったのは、スクランブル交差点だ。単純に四方からの視線があまりにも多すぎて、自分の演舞を確立する難しさを感じた。中盤から目を瞑ることでよりトランス状態になりやすくなることに気がついたので、実践することにした。それでも最大音量の音源が聞き取れない場合もあり、その場合は環境音のみで舞うこととなった。

また、最後の氷川神社に関してはとても静かで虫の声だけが聞こえていたので音源が逆にノイズになると思い、環境音だけで演舞を行うことができた。渋谷最古の神社はどこまでも奥深くて神秘的に感じられた。途中、獅子舞を知っている地方出身?の歩行者同士が「お前も獅子舞に入ってこいよ」とドンと押すシーンがあり、これは唯一渋谷の獅子舞の生息可能性も捨てたものではないと思える出来事だった。

そのほか、女装した稲村の獅子舞に対して「かわいい」という反応と「かっこいい」という反応のどちらもがあって、ある意味中性的で曖昧な存在として化粧をしたシシが認識されていた様だ。女王様気取りで伏し目がちになって異様な空気感で歩く様に務めた。

画像10

空間を読み解く「新しい獅子舞」の萌芽

今回は舞場を選定して、そこで音を流し舞うという、スイッチのオンオフがはっきりと分かれた獅子舞となった。3人のメンバーがお互いの感覚を読み合いながら、舞場がくると音を「プップップッ」と鳴らしたり手をあげたりして合図を出して獅子舞を始めた。この手法は空間の余白に対して敏感で意識的になるため、真の意味での「獅子舞生息可能性」を空間的に確かめるための素晴らしい手法を確立できた。これが今回の獅子舞の最も大きな成果の1つと言えるだろう。

このようにスイッチのオンオフがはっきりと分かれた獅子舞になった要因として、そもそも渋谷には獅子舞が実施できる空間が限りなく少ないという前提がある。また、渋谷の街を歩く人が多すぎるので視線を強烈に感じ、それに伴う精神的な疲労感から長時間舞えなかったことも関係しているだろう。雰囲気に飲まれてなかなか自分の意識を排除したトランス状態になることも難しかった。音源の機材トラブルや、舞場がなくて立ち止まって話し合う場面があり、スムーズに演舞を一連の流れで実施することもできなかった。とにかく環境に圧倒されっぱなしだ。獅子舞ユニットの活動は始まって間もなく、いきなり強敵に戦いを挑んだ感が拭えない。

渋谷での獅子舞は途中何回も休憩を必要としたが、結局演舞の時間はたったの2時間ほどだった。秋田県五城目町では合計5時間くらいは1日で舞い続けていた気がするので、疲労が来るのが早かった。その疲労感はアスファルトを踏んでも土の様に上手く反応が帰ってこないことや、音が響かずに人混みに吸い込まれて消えていく様な感覚から来る様にも感じていて、自分の体内にエネルギーが注入されずに空っぽになっていく感覚とも近い様に感じた。とにかく渋谷は強敵だ。日本全国探してもこれほど獅子舞が舞いにくい街は少ないだろう。修行してからまた渋谷の街に挑みたいという想いが強くなった。学びや気づきが多くて今後の成長に繋がる獅子舞ができた。

画像11

※渋谷での獅子舞はPanasonicなどが運営に関わる「100BANCH」のプロジェクトに採択いただき、滞在場所(100BANCH HOUSE)や広報、製作場所の提供など、多岐にわたってご支援いただきました。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?