見出し画像

【ちょっとした振り返り】

はじめに

これは獅子狩が、少し自分のことを振り返る必要があるなと思い、書き始めたnoteです。
特に何がどうというわけではないのですが、読んでいただけるのであればありがたいです。

「ひとつの団体の終わり」

今年の夏、かれこれ5年程所属させてもらっていた団体が解散となった。

解散の理由は複数あったが、その中のひとつとして、私の性格が他の人に迷惑をかけてしまったことが一因としてある。今回の件で、私が第一に反省すべき点だ。
私は、真っ当な人間ではなかった。真っ当な人間……真人間でないということは、他者と触れ合う際に他者に負担を強いてしまう。物心ついたころから、これが違うあれが足りないと比べながら、真人間になろうとあれこれ模索してきたが、もうすぐ30になろうというこの歳になっても、私は未だ真人間ではない。勿論、真人間への修行は死ぬまで続くのだ。

この終わりのことをきちんと第三者的視点で振り返るには、私にはまだ客観性が足りていないため、詳細については省こうと思う。この団体にお世話になっていた頃の私に、特にどの真人間要素が足りておらず、どのような振る舞い、距離感、気遣いが適切であったのかを考察するには、あと数年程の時間の経過が必要だろう。今はどうしても、私の視点だけが濃くなってしまい、客観視ができない為だ。

ただこの5年間、とてもお世話になったことは間違いなく、この団体についてはとても感謝している。この感謝はきっとこの先もずっと心の片隅にあり続けるだろうし、迷惑をかけてしまった他の方々に、それぞれの場所で、幸せな人生を送っていってほしいという気持ちも変わらないだろう。

ただ、この団体と人々への諸々の感情は私の中で酷く絡まった糸屑の塊のようにってしまっており、綺麗に解くにはまだまだ長い時間がかかりそうだ。

いつか、今世が終わるまでに解けてくれるといいなと思っている。でも期待はしない、解ける確証がないからだ。

「一人でできることを、出来るだけ続けていきたい」

私の人生において、団体への所属の結果は基本的に破滅である。自分が他者と深く、あるいは長く関わることを不得意としていることは、義務教育の頃から把握していたことだ。
何とかして克服できないかと思い、色々な団体に所属しては、迷惑をかけた。「また人様に大きな迷惑をかけるかもしれないから、一生懸命所属してみるのはこれで最後にしよう」と、覚悟を決めて所属したのが、先程述べたお世話になった団体だったのだ。私の中では、実に長い期間所属できた、稀有な例である。その分、多大な迷惑をかけてしまったことは想像に難くない。そこは、とても申し訳なく思う。そして、それも終わりを迎えた。つまりこれは、一種の人生の区切りなのだ。

数十年の試行錯誤や迷惑の成果として「獅子狩和音は団体所属ができない人間である」ということが明確になった。これは、私にはできないことだったのだ。ではどうするのか、個人で活動していくより他にあるまい。勿論、社会に存在する時点で、他者との関わりを完全に断つことはできない。だが、関わる部分をなるべく薄く、遠く、適切な最小限に留めることは可能なはずだ。何事もソーシャルディスタンスということである。

確証がないのだが、昔見たアニメで「二人なら、嬉しいことは二倍に、悲しいことは半分になる」と言った少女に対し、青年が「二人でいるからこそ、喜びは半分に、悲しみは二倍になることもあるんだよ」と答えていたのを見た記憶がある。
団体であるか個人であるかということも、つまるところこれと同じではないかと思うのだ。団体でいることのメリット・デメリットがあるように、個人であることにもメリット・デメリットがある。これからは、個人であることのメリットを最大限生かして、一人でできることを、出来るだけ長く続けていきたいのだ。

「しかし、獅子狩はニートである」

散々色々なことを述べておきながら、獅子狩は現在無職の生き物である(そも、団体に所属できない生き物が仕事をできないのは、想像に難くないと思うが)。
僅かに溜めてあった貯金もすっかり底をつき、失業手当ももうじき終了する。未来も鮮度もない、何だか手詰まりの生き物だ。

獅子狩は酷い泣き虫である。求人を見れば涙が溢れるし、職安に行けばまた涙が溢れてマスクの内側が大惨事になる。職安のトイレで執拗に鼻を噛む音が聞こえたら、それは獅子狩かもしれない。ただそれでも、何とかして働かねばならないと現在じたばたともがいているところだ。

部屋は片づかない、口座に金はない。が、年金と健康保険の振り込み請求書はしっかりと家にやってくる。

「実家で暮らせてる時点で、すごく恵まれてるんだよ」と言われたことがあるが、まさしくその通りなのだ。たとえ何があろうとも、雨風凌げる家があることは僥倖である。
ただ、それでも求人は涙でぼやけてよく読めない。「皆勤手当」も「やりがいのある仕事です」も「責任感のある人を募集しています」も、恐怖で仕方がない。そして勿論「正社員登用」の実績は「なし」だ。

そして明日と請求書は私には何ひとつ関係なくやってくるので、私は今日も求人票を見つめる。真人間への道のりは、まだまだ険しいのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?