僕の獅子舞日記 第百二十七話【壊してはいけないもの】
朝番のシフトだった火曜日に、仕事終わりに寺に着くと、三歳になる星さんの娘の舞美ちゃんが遊びに来ていた。
ちなみに、名前は獅子舞の「舞」をとって名付けたらしい。
「舞美ちゃん、こんばんわ~。」
僕が話しかけると、舞美ちゃんはそっぽを向いて、父親の星さんのもとへ助けを求めるかのように走っていってしまった。
「嫌われてんね。」
音羽は笑いながら僕に言った。
しかし寺に健人が玄関に現れた瞬間に、舞美ちゃんは目を輝かせながら、自ら健人のところに駆け寄っていった。
「けんと!!」
「お、舞美~?今日もきてんのか!」
健人は慣れた手つきで舞美ちゃんを抱っこした。
舞美ちゃんは、健人のほっぺたをペチペチと触りながら満面の笑みだった。
「え?何?この違い?」
戸惑った僕を見て、星さんと音羽は手を叩いて笑った。
「面食いなんやちゃ。うちの娘は。まあ、ちょっと複雑な気もするがな。」
「そうですよ。あんなのに引っかかったら将来苦労しますからね!今のうちから教育しておいたほうがいいですよ!」
「おいなんだよ。あんなのって。」
会話が聞こえていたのか、健人は舞美ちゃんを降ろした後に僕に言った。
「その言葉のまんまだよ。」
「お前なあ。俺も二十五になったんだぞ?人をいつまでもチャラ男扱いしやがって。こちとら、もう色々と落ち着いてきたわけよ。」
「どこがや。健人お前、この間女の子連れて能瀬町におったやろうが!」
尾端さんが寺にやってくるなり、健人にそう言った。
「え?いつすか?」
「いつって結構最近やぞ。七月くらいか?」
「ん?七月?あー…。あれかな。」
健人が目線を右斜め上に向けながら首を傾げていると、星さんがその頭を叩いた。
「何が落ち着いてきたじゃぼけえ。現役丸出しじゃねえか。」
健人は頭を押さえながらけらけら笑っていたが、音羽は無言で立ち上がり、そのまま廊下に出ていった。
洗面所で笛を洗っている音羽に、僕は話しかけた。
「大丈夫?」
「…なんか今までだったらさ、あんな話は当たり前だったから、もうなんとも思わなくなってたんだけどさ。近々思いを伝えようって時にああゆうの聞いたら、かなり過敏になっちゃうよね。」
音羽は蛇口をひねって水を止めた。
そしてため息をつきながらタオルで笛を拭いていた。
「ま!グダグダ言っても仕方ないか。大丈夫。もう覚悟は決めてるから。」
音羽はニコッと笑って、また部屋に戻っていった。
目が全然笑っておらず、いつもの笑った時に現れる三日月の目は半月くらいの大きさだった。
僕は先ほどの彼女よりも、更に深いため息をついた。
健人が獅子頭を担いで、空くんと『剣』の踊りを練習しているときに、その事件は起こった。
がこーーーーーんっ
「やべえ!!!!」
地面に何かが落っこちる音と、健人の声がほぼ同時に響いた。
「なんだ??」
音に反応した僕ら笛方も立ち上がって縁側を出て、その下の階段の上に立った。
どうやら健人が手を滑らせて、獅子頭をアスファルトの地面に落としてしまったようだった。
健人が急いで獅子頭を拾い上げた。
「すっげえ音したぞ?大丈夫か?」
そばにいた原さんが健人に訊いた。
健人は縁側の階段を上り、部屋の畳の上に獅子頭を置いた。
真っ二つに割れた、どこかが欠けたなどはなく、一見すると問題がなさそうに見えたが、よくよく見ると獅子頭の眉間から鼻にかけて大きなヒビが入っていた。
「おい!!ケンティー!やってくれたの!」
尾端さんが健人の頭を叩いた。
健人が頭を叩かれるのは本日二回目だった。
「やっべえ。これまずいよな。」
そう呟いた健人の顔は顔面蒼白だった。
彼の呟きに対して、星さんが獅子頭を触りながら冷静に言った。
「うーん。これ使い始めて三十年近く経ってるから、作ってくれた彫刻家はもう既に死んどるかもしれんな。とりあえず修理には出したほうが良さそうやから、俺の方からお弟子さんに連絡してみるわ。練習は旧獅子で代用しよまいけ。ヒビだけやし使えんことはないかもやけど、このまま使っとって悪化したら怖いしな。」
「高野さんのところから旧獅子を引きとってくるよ。」
通くんが太鼓のバチを畳の上に置いてから立ち上がった。
「僕も行くよ。この前ご馳走になったばっかりだから、お礼も言わなきゃだし。」
僕も立ち上がると、健人が申し訳なさそうな顔をして僕らを見た。
「悪いな。手間かけて。」
「大丈夫だよ。気にしないで。」
僕はそう返したが、通くんは真顔で「うん」とだけしか言わなかった。
そして彼は、そのままスタスタと玄関へ歩いていった。
通くんを追いかけて玄関に行くと、音羽が上がり框に座っていた。
「あれ?音羽?」
声に反応して僕を見上げた彼女の顔は、ヒビの入った獅子頭を見た時の健人の顔よりも真っ青だった。
「顔色悪くない?どうかしたの?」
僕が尋ねると、音羽は小さな声で話した。
「なんか気持ちがナーバスな時に、ヒビが入った獅子を見たら、嫌な予感がして急に怖くなっちゃった。おかしいよね。直接何か私に関係があるわけじゃないのに。」
そう言った彼女の顔は、青白いままで皮膚は引き攣っていた。
「…ごめん。先に高野さんの家に行っててくれる?俺はここにいるから。」
通くんが僕にそう言って、音羽の隣に座った。
「あ、ううん。多分すぐに治まるから大丈夫だよ。変な事言い出してごめん。気にしないで行ってきて。」
音羽の言葉に対して、通くんは真顔のまま身じろぎもせず、そこから動く様子はなかった。
「わかった。とりあえず、先に行ってるね。」
僕は二人を背にして、寺を出た。
第百二十八話「白か黒で答えるべき、突きつけられた恋愛の難題について、我々他人がベロベロな状態で盛大に口を挟もうじゃないか」
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