【ネタバレ有】『君たちはどう生きるか』を観た【感想Ⅱ】

 まだ心のどこかしらが興奮している。映画を観たほかの方の感想を拝読して気づいたことや思い出したことがある。
 前情報がほとんどなく、純粋に「作品を観ただけの感想」が飛び交う。それがこんなに面白いことだったなんて知らなかった。

 まだ私も語りたい。
 そこで、ほかの方の感想や考察を拝読して気づいたことや、前回の感想記事を投稿したあとに思い出したことを書いていこうと思う。

↓前回の記事はこちら↓


思い出したこと

 屋敷の使用人のおばあちゃんたちに触れるのを忘れていた。
 初めは、一言で言うと「異様だな」という印象を受けた。見た目、人数、お土産に群がる様子……。眞人の世話を全うする姿を見ても「そのうち眞人は取って食われるんじゃなかろうか」と心配になったし、塔のことをあまり話したがらない様子を見ても「本当は百年以上生きていてその全貌を知っているんじゃないか」と勘ぐったりした。発想が若干『サマータイムレンダ』を匂わせる。
 しかし物語が進むにつれ、「あぁ、このおばあちゃんたちはただただ人間味ある人たちなんだな」と気づいた。お砂糖やタバコへの欲を隠さない、眞人や夏子を心から心配している、可愛らしいおばあちゃんたちである。アリエッティの使用人のおばあちゃんの下品さとトトロのカンタのおばあちゃんの優しさの、ちょうどその間が今作のおばあちゃんたちのキャラクターのような気がする。
 あまり深く考えていないが、桐子(例によって漢字は間違っているかもしれない)は何故引き返さず眞人について行ったのだろう。私なら引き返して人を呼びに行っていたと思う。下の世界の、あの強気な桐子でないと眞人は死んでいたかもしれない、という面で言えば、「桐子はついて行かねばならなかった」、「ついて行くのはおばあちゃんの中でも彼女でなければならなかった」というメタからの納得もできなくもないが、それでは説得力が弱い。もしかしたら、久子がそうであったように桐子も昔あの世界に迷い込んでしまったことがあるのかもしれない、だから惹かれたのではないか、なんてことを思う。

ほかの方の感想を読んで思ったこと

 眞人の「悪意」に触れる感想は少なくない。私も前回の記事で間接的に触れている。この悪意があるという面で主人公を「悪い子」、「歪んでいる」と思った方もいるようだ。
 私は彼を「真っ直ぐ」と表現した。上記の感想とは真逆である。これについては、私の人間を見るときの目が大きく影響したな、と気づいた。
 おそらく私は、心にまったく悪意のない人間はいないと思っている。いや、赤ちゃんなんかは別だが。それも2歳過ぎまでが限界だと思っている。大事なのは、悪意が心の内に存在するかどうかではなく(あるのが当たり前だからだ)、悪意が自分の心に存在して表に出たときそれに気づけるかどうか、「うわやっちゃった、気持ち悪い」と感じられるかどうかだ。眞人には、自身の悪意に気づけるだけの心の純度があった。そう思った私は彼を「真っ直ぐ」と感じ、表現したのだと思う。

 夏子については、もはや考えすぎてよく分からなくなってしまった。前の記事でも書いた、「眞人を『嫌い』と言ったのは本心だったのか問題」の脳内討論に決着がつかない。
 夏子と眞人は、眞人が赤ちゃんの頃に会ったきりだった。夏子が眞人にそう話す台詞がある。
 映画を観たほかの方が「姉である久子の葬儀に夏子が参列していないことになる」と指摘していた。
 本当だ。でも何故。現代の文化では「何かあったのかな」と勘ぐられる行為なのに。
 ほかの方の考察によれば「夏子は眞人だけでなく久子のことも好ましく思っていなかったから」ということらしい。そんな理由で参列しないことができるのだろうか……いや、昔の方が家同士の繋がりなどは大事にされていたのではなかろうか。当時の文化として「嫁いだ娘の葬儀には、生家の家族は参列しない」とかあったのだろうか……いや、ない気がする。
 眞人によるモノローグで「母さんが死んで~」という台詞があった。しかし、アオサギが眞人に母親の亡骸を確認していないだろうと指摘し、眞人はその言葉にはっとする。
 葬儀をしたのなら、棺に亡骸があるはずだろう。亡骸の存在を確認できていないのは不自然だ。亡骸がないけれども葬儀はしたのだろうか。形だけ。そもそも葬儀をしていない可能性があるのか? 病院での火災だった、多くの方が亡くなった、身元を調べられないほど焼かれてしまったご遺体もあっただろう……合同葬をしたのか?
 作中にないことなので正解は分からない。
 また、夏子が眞人のことを「新婚生活の邪魔者と捉えているので、『嫌い』は本心」とする考察も結構見受けられる気がする。夏子が眞人の父親を本当に好きという前提だ。作品を素直に観たらそう思うのが自然だろう。異端なのは私の方だ。しかし、現代的な考え方になってしまうかもしれないが、もし眞人を邪魔者と思っているのだとしたら、「いやそこは結婚前に分かっていたんだから腹を括りなさいよ」と突っ込みたくなってしまう。前回の記事でも書いたが、歩み寄る努力が報われず、眞人に母親と認めてもらえないが故に可愛いと思えないのだとしたら、それは理解できる。
 悪阻で苦しむ中で眞人に会いたいとおばあちゃんたちに伝えていたのは、演技というか建前というか、そういうものだったのだろうか。本心ではないのか。
 一見矛盾する感情や思いを全部同居させることができてしまうのが大人だ。これも前回の記事で書いた。もしかしたら夏子の心中には眞人を愛したい気持ちと憎たらしいと思う気持ちが同居していて、悪阻による身体的な苦痛も相まって感情がぐっちゃぐちゃだったのかもしれない。
 本当に、何が正解かは分からない。どんなに考えても、最後はそういう答えしか出せないでいる。

 私はもう子どもではない。独身なら、子どもがいなかったなら、眞人にもっと思いを馳せていたと思う。夏子への関心がすごいことになっているのは、私が人の母親をしているからだろう。
 そう、私はもう子どもではない。若くもない。
 思いがけずそんなことにも気付かされ、少し寂しさを覚えている。

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