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noteを読んで、襟を正す

 12月7日、障害者週間の真っ只中。
 早い時間に寝落ちしてしまったので、早朝に目が覚めた。そういえばと、昨日見つけた「同業者らしい、知り合いの知り合い」のnoteの記事を読んだ。

※勝手にリンクを貼っているので、削除要請が来たら消すつもりだ。

 結論から言うと、「お前はちゃんとやっているのか」と殴りかかられたような感じがした。丁寧な言い方だと、襟を正される、みたいな。

 以下、思ったことを脈絡なく記していく。綺麗に繋げようとするとまどろっこしくなるので諦めた。

 彼(だと思う)は、おそらく知的などの重度障害や身体との重複障害をもっている方々の支援員だ。入所施設(通うところではなく住むところ)で働いているらしい。
 かたや私は日中活動支援(通う場所、仕事をする場所での支援)しかやってこなかった。今は主に精神障害を持った方の支援をしているが、以前少しだけ知的障害や身体障害の方の通う事業所でも仕事をしていたことがある。が、彼の記事を読んで、あの頃の経験が「昔取った杵柄」だということや、数年という少しの期間に相応しい程度の、浅い経験しかしてこなかったのだと感じた。もう、精神しか通ってない職員の前でドヤれない。

 彼が批評した映画作品を、もし批評を読む前に観ていたら、私は「そうだよね!」と流されずにいられただろうか。
 さすがに、「事業所へ向かう道のりがそんな険しかったら送迎できねぇじゃん」くらいのことは気づけたと思うが、他の場面で「現場ってこういうことあり得るよね」くらいは思ってしまったかもしれない。研修等で聞くひどい精神科病院の例なんかとごちゃまぜになって。

 自分がかつて書いた同人小説にも、メインテーマではないものの、主人公が障害当事者に対して「怖い」とマイナスイメージを持つ場面を描いた。
 著者である私自身はそこで終わらず、「怖いと思う人」と「怖いと思われる人」の間に立つ仕事に就き(個人的には、どちらの立場も感情も無視できないと思っている)、自ら進んで「考えることをやめられない状況」に身をおいている。しかし、作中で「怖いと思われる人」側のことや「考え動き続ける意志」まで表現できていたかと問われると自信がない。
 私の作品もまた、彼に批判されるべき作品かもしれない。それどころか、そもそも読まれるに値しない可能性まである。

 最近、職場で仕事への姿勢をベタ褒めされることが多く調子に乗っていたので、この記事を読めて良かったと思う。

 ちなみに、3障害(身体、知的、精神)の支援は「どれが楽、どれが大変」と決めることは難しく、それぞれに大変なポイントが異なっている印象だ。また、この分類では、発達障害は精神障害の一部という扱いになるが、私が学生だった頃の分け方なので、今は変わっているかもしれない。

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