見出し画像

【FUCK①】生活支援員が観た映画「月」評~前編~

はじめに

こんにちは。東京ニトロです。
趣味で(パニック)小説を書いたり漫画を描いたりしながら、現実世界では(日中生活支援と施設入所支援を行う施設で)生活支援員というお仕事をしています。生活支援員というのは、障害を持った方の自立した生活のためにお手伝いをしたり、社会復帰や参画に向けた創作や生産活動に関わるお仕事です。(ここで注意なのですが、「自立」というのは「誰」(または「何」)の手助けも借りないという意味ではありません)ちょうどコロナ禍が始まる頃に入職したので、勤続4年になります。わたくしは自他ともに認めるジョブホッパーなのですが、昨年度は障害者援助専門員の資格を取り、来年は社会福祉士に挑戦するなど、長く働く気マンマンです。

そんな現役の生活支援員であるわたくしが、宮沢りえ・オダギリジョー主演で、実際にあった障害者施設での事件をモデルにした映画「月」を観てきたのでレビューしたいと思います!

fuckでした。


公式サイトより

(ここから先、かなり長くなると思います。あとネタバレもガンガンしていきます。観に行く人を減らしたいので。)

結論から言ってこの映画はFUCKです。
FUCKすぎるのでもう敬語もやめる。ふざけんなって思った。この映画は問題提起の皮を被った有害な映画です。どうして有害なのかというと、問題提起の皮を被っているがゆえに(作り手側の)善意を偽装しているが、その問題提起自体が誤った事実や誇張された情報の一般化に基づいており(おそらく作り手側に悪意がある。なぜなら少しでも現場に触れたらわかることをあえて無視しているのと、想定される観客層のため※後述)、それゆえ現状追認以上の効果はないどころか、むしろあの殺傷事件を起こした犯人のメッセージを強化するに至る構造になっているからです。おれはほんとうに、障害者の当事者団体や家族会が抗議声明を出すレベルの作品だと思っているよ。

これからあらすじを説明して、そのfuckさを説明するからな。覚悟しろ。長いぞ。

「月」あらすじ

物語は新人支援員・堂島洋子(宮沢りえ)の視点で進む。かつて有名小説家だった洋子には3歳で亡くなった息子がおり、息子にも障害があったことがほのめかされる。夫(オダギリジョー)は売れないアニメーション作家で、ふたりとも息子の死を克服できないでいる。洋子は森の奥にある障害者施設で働きはじめるが、そこで障害者支援の「現実」を知りショックを受ける。特に「きーちゃん」と呼ばれる寝たきりの入所者は意思疎通が困難で、洋子は「人間とは」という問に苦しむことになる。そこで出会った男性職員の「さとくん」(磯村勇斗)は、最初は入所者に親身に接していたが、同僚のハラスメントや虐待行為、上司の無理解から追い詰められ、やがて優生思想を口にするようになる。そんななか、洋子は妊娠が発覚。高齢出産に伴うリスク回避のため出生前診断を受けるか夫婦で悩む。そしてその結論を回転寿司屋で話し合おうとしたそのとき、店内のTVで「さとくん」が事件を起こしたことを知る。


FUCK① 現実とはほど遠い「作られた現実」

まず障害者施設の描写がFUCKだ。
作中の障害者施設は鬱蒼とした森の中にある。これについては、作中の「さとくん」が「みんな(障害者を)見たくないんですよ」というようなことを言っていたが、要するに「お前らだって『差別は良くない』とか言いながら差別してんじゃんハイ論破」というのをやりたいんだなというのがわかる。確かに施設は郊外にあることが多く、NIMBY的な要素は否定できない。一方で、入所者が50名を超えるような施設となると土地もいるし、そうなると(法人の)経済的な事情もある。おれが働いている事業所の場合は郊外の丘の上にある(眺めはめちゃくちゃいい)んだけれど、同じ法人がやっているグループホームは住宅街の真ん中にあって、入所者の方は気軽に近隣を散歩されたりしていて、住民とのトラブルも聞いたことはない。

そして施設に通じる道の描写がFUCKだ。ていうかこっちが本命すらある。森の中の鬱蒼とした道を宮沢りえが歩いていくんだけど、舗装はされてないし、蛇や害虫が出るし、照明もない。ホラー映画の洋館に至る道のように描写されている。

そんな道あります?????

ていうか立地からしたら車通勤必須だと思うんだけど、宮沢りえは頑なに徒歩通勤していた。現実では、利用者の定期通院のときとか車必須なので、あの道は無いと思う。送迎車がランクルなのかもしれないが。

むかつくのは、その砂利道の上を這う蛇やミミズをアップして、わざわざ気持ちの悪いSEをつけていたこと。文法的には完全にホラー映画で、要するに、「ほら怖いだろう。はい、いまあなたは障害者施設を怖いと思いましたね。はい論破!」をやりたくて仕方がないというのがわかる。当たり前だろ。ホラー映画の文法で描写されてるんだから。そう考えるとミッドサマーってすげえ映画だったんだなって思う。話が逸れた。このままだと施設内部にたどり着く前に1000字を超えてしまう。

とにかく、そういうホーンテッドマンションに通じる道みたいなのを歩いて宮沢りえは通勤する。マムシやヤマカガシのリスクを背負いながら。で、施設に入ると施錠施錠のオンパレードで、しかもドアの覗き窓には鉄格子がハマっている。たしかに安全上、現実でも外部へ通じるドアは施錠されるが、施錠にもルールがあって、利用者しかその空間にいない状況で外部から施錠するのは監禁に該当して虐待となる。この施設ではガンガン利用者を部屋に閉じ込めて施錠しており、もちろん宮沢りえはそれについて施設長に抗議するのだが、彼はこう言い放つ。

「仕方ないでしょう!県のマニュアルに則ってやってるからいいんです!」

仕方なくない。障害者虐待防止法における身体的虐待に該当する。
つまり、この世のどこにもそんな行政のマニュアルなんて存在しない。ていうかそんなこと調べたら一発でわかるのに、あえてそれを隠して、あたかも監禁することが「一般的な」方法のように錯覚されうる表現をしていることに、正直悪意を感じるよ。もしかしたら制作陣の調査能力がめちゃくちゃ無能なのかもしれないけど。「じゃあ暴れる利用者にはどうやって対応するの?閉じ込めるしかなくない?」という反論についてはのちほど答えるとして、一番キレた描写について語る。それは、施設長が「(一般職員は)近づくな」と指導している、ある男性利用者が長年監禁されている部屋に宮沢りえが初めて入ったとき――だめだ、話が進まない。<施設長が「(一般職員は)近づくな」と指導している>ってなんだよ。そんな対コトリバコみたいな指導があってたまるか。頼むから早く宮沢りえは障害者虐待防止法に基づく公益通報をしてくれ。公益通報は通報者が秘匿されるし、管理者が(公益通報者と疑われる)職員を解雇するのも違法だからな。ちなみにネタバレですが。この作品には公益通報のコの字も出てきません。で、その監禁されている男性利用者の居室に「さとくん」と宮沢りえが入っていくんだけど、その利用者はなんと全裸で、汚物まみれで佇んでいる。それを見たさとくんが障害者に対する憎悪を募らせる(という仕掛けになっている)。さとくんは(その利用者と)自分は違うというようなことを自分自身に言い聞かせながら部屋を後にする。当たり前だろ。施錠して監禁してたらそうなるだろ。ためしにお前を監禁して、それで失禁したら「汚い。お前は人間じゃない」と罵ってやろうか。マジで腹たってきた。結局、制作陣は「障害者は汚いですよね」「ほら!きれいごと言っていてもあなたも汚いって思いますよね。はい偽善!」って言いたいがために、めちゃくちゃ差別的な描写をしているにすぎない。これを現実の施設に当てはめると、トイレ支援もできない無能支援員のせいで居室内失禁されたという話になるし、そもそも監禁が虐待で違法なのだが、この作品は恣意的な表現によって惹起された嫌悪感や恐怖感を、すべて障害者自身に起因するものとして扱う。すごいですね。それ、差別です。

で、そういう狂った法人/狂った事業所で働く同僚も狂っており、陽子っていうサブキャラクターがいるんだけど、彼女はワナビであり、(この施設と入所者が)「小説のネタの宝庫!」って叫んだりする描写がある。こういう狂ったワナビこそ表現の自由大好きマンの天敵であるポリコレ棒でボコボコにすべきなんだけど、そもそもがこの制作陣こそポリコレICBMで焼き尽くされてほしい。

FUCK①を総括する。現実では違法なためかなりレアケースな事例を、誇張しかつ一般化しており、その目的が観客を(障害者を利用して)恐怖させる点、および障害者そのものに対する嫌悪感に誘導させる点にあることにFUCKさがある。そしてその表現の先には、障害者に対する差別の助長という懸念があることがまさにFUCKである。

このFUCKさがあと2FUCKほどある。体力的に無理なのでFUCK②以降は次回更新とします。FUCKを単位とするな。

※後編はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?