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『だから僕は他人の為に書くのをやめた。』所感

 同人(一次創作・文芸)仲間のひとり、今田ずんばあらず氏の『だから僕は他人の為に書くのをやめた。』を読んだ。

 先日開催された「文学フリマ東京38」で頒布されることを知り、タイトルを見ただけで「おうおうやめろやめろ! それはそれとして私はその本を買う」と思っていた。そしてしっかりと購入したのだった。

 私が「おうおうやめろやめろ!」と思ったのは、ずんば氏に対する嫉妬とか敵意とかからではない。彼にはイベント以外の場、「X」上なんかでもよくしてもらっている。自分の物書きをするスタンスから「やめろやめろ!」と思ったのである。
 私個人は商業作家を目指していないこともあり、「読者ウケを気にしたらブレるからやるな」、「書けなかったら書かなくていい」、「楽しくなくなったら躊躇せず筆を折れ」あたりをモットーに活動している。少々アグレッシブなモットーかもしれない。「私が私であるために創作活動をしている」という軸を守ろうと必死なのだ。ややもすると私だって「人気作家になってイベントで列作ってみたい」とか思ってしまいそうになる。それを折に触れ自制している。私は読者や世間のオーダーに合わせて作品を仕上げられるほど器用ではないし、私の表現したいものを表現するために「書くこと」をしているのに、他者のオーダーって何だよ、という話でもある。
 つまるところこの作品のタイトルを見て「創作自体を辞めろ」ではなく、「『他者のために』を辞めろ」と思った、ということだ。

 私の話はさておき。
 ずんば氏のこの作品は、そういった「創作への姿勢」をこちらも振り返らされるものとなっていた。
 ちょうど彼と同時期に、私も「なんか書けない」、「書いてみたけどこれじゃない」という状態に陥っていた。私はその間出産や育児があったから気を逸らすこともできたが、彼は真正面から創作に向き合っていたがために、逃れられず苦しんでいたのだろうと思う。読み進めるにつれてずんば氏が彼自身の弱い部分と向き合い、暗い部分を抱えながらも前進していこうとする姿勢がうかがえて、読了後はホッとした。
 ただ、「他人の為に書くのをやめ」そうになりながら、終盤で「~のための~」というタイトルの章が出てきたときに「おっと!?」と思った点は述べておきたい。この章が書かれた日付を、全部読み終えてからもう一度確認しに戻ったくらいである。時系列としては不自然ではなかったので改めて胸をなでおろした。
 おそらくだが、この章タイトルは「(ある属性の他者)のための~」と見せかけて、その属性の中にずんば氏自身も(自虐的に)含まれているということのような気がしている。
 私はそう(その属性にあるとは)思わないけどね、と追記しておく。

 繰り返しになるが、私は趣味で小説やら何やらを書いている。しかしずんば氏をはじめ多くの同人仲間はそうではない、と思う。「いつかは商業」と志して書いている仲間に対して、私の「楽しく書きなよ~」というスタンスは、もしかしたら反感を買うかもしれない。
 それでも今は、幼少期まで立ち返って「書くことは楽しい!」ことを思い出してくれたらと、彼に対して願う。楽しさや充足感を十分得て、彼の言う「土台」ができた先に、「他者のためにも」書ける彼がいるのではないかと思う。もう四十近い私からしたら、三十歳なんてまだまだこれからだ。私はこれからも、彼を物陰から静かに応援していきたい。


 

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