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『らくらくブギ』

いっしょけんめ働いてはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー
図々しいやつほど生きやすいのなら
おれの生きてる場所はねー
からだこわしてはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー

からだこわしてはよ死のー
からだこわしてはよ死のー
やりたいことだけ早めに終わって
残りは誰かにあげちゃお
未練 残さずはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー

未練 残さずはよ死のー
未練 残さずはよ死のー
小鳥はひとりで悟りを聞き取り
だれにも言わずに死んでくー
きれいさっぱりはよ死のー
いっしょけんめ働いてはよ死のー

死んでこの世はらくらくブギ
死んでこの世は極楽ブギ
そんなに素敵で愉快な場所なら
もいちどリピートしたいな
死んで死んで死んで死んではよ死のー
死んで生きて死んで生きてはよ死のー

[セルフ解説]
この歌を作ったころには、もう自分も40才を越えており、いろんな希望をもっていたけれども、結局、なにものにもなれず「オレの人生は、つまるところ、失敗だったのか。それならもうこのまま生きていても意味がないから、早く終わってほしい」という願いをもっていました。

夭逝できるほどの才能ももっていなかった自分だが、マネタイズしたいという欲望がなければ生きていくことのできないこの資本主義の世界では、自分の生きる場所はない。ああ、もっと汚れたハートを持って生まれてきたかったなあ。この澄み切った心が邪魔だよ。

もちろん、営業利益のために存在する株式会社のなかで売り上げアップのために必死になれるほどの生き残る情熱もない。ではお互いがウィンウィンの関係になれる残された方法は過労死だな、という結論にいたり、では擦り切れるまで働くとするかということで、できた歌です。

というか、40代になって初めて作った曲です。

しかし、苦しい胸の内をそのまま吐露するような素朴さは持ち合わせておりませんので、そこは食わねど高楊枝な気持ちを「はよ死のー」の棒引きの部分にこめております。

「死んでこの世はらくらくブギ」の部分は、「あの世がらくらく」ではないところに注意したください。

ここでは、死んでもうあの世にたどり着いており、そこからこの世を振り返っています。そうすると、あんなに過酷に思えたこの世がとても楽しい場所に見えるではありませんか。ああ、もっといろいろ出来たよな、もっと力を尽くして生きてみれば違う景色になったよな、なりたい自分になれたよなあというふうな回顧と後悔とによって、人間は輪廻するようになったのではないか。カルマの処罰によって、輪廻してるのではないのではないかというように、思想が変化しました。

この歌を初めて披露したときのライブは忘れられません。大学時代のサークルのオフ会をやっているので参加しないかと誘われて出たのですが、うちのサークルは、洋楽の演奏技術偏重サークルwだったので、そもそも日本語で歌ったりはしていません。ホーンのあるFunk、ブラックミュージックの完コピを目指すのが主流のサークルで、いまもそうですが、最も愛好されているのはタワー・オブ・パワーです。

わたしも学生時代には、ボーカルとしてスティービー・ワンダー、オーティス・レディング、マービン・ゲイなどを歌っていました。

そういうサークルのオフ会で、「いっしょけんめ働いてはよ死のー」という歌詞を歌ってどういう反応が戻ってくるのか。どうなるか知らんけど、とにかく当たってくだけろだよ。

すると、初めて聞く歌のはずなのに、客席から合いの手が返ってきます。「はいよっ」「はいっ」「それからどうした」ですw

通じるのか!?
オレの日本語が通じるのか、瞬時にして!? 
ボードレールの詩法に学んで、
前の連のフレーズから始めるというこしゃくな技を取り入れて、
とぎれない連鎖と輪廻とをパラレル化した歌詞で
自分の苦境を陽気なシャッフルに乗せて歌う
オレの日本語が通じるんだ!! 

オレが論理的な思考を歌詞化した過程でうまれた曲だということを、
一瞬で見抜くできることのできる人が、
身近にいたんだ!!

じゃあ、過労死しなくてもいいんじゃないw

わざわざ死ななくても、マネタイズに向かない人間にとっては過酷極まる社会のなかで嘆きながら生きている歌を作って、歌を歌って、いま生きているままでこの世をそんなことができる「素敵で愉快な場所」にしてもいいんじゃないw

この歌は、そういうところまで自分を押し上げてくれた歌です。

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