見出し画像

「執着」という状態。

こんにちは!士載です!

私は、小学生・中学生の頃
「運動音痴」な所が
「コンプレックス」でした。

なので、高校1年の頃、
部活で、試合に出場でき始めたコトで
嬉しさが爆発しました。

そして、高校の頃の最高成績が、
部活の団体で北信越大会出場、、
個人では、県のベスト16に何回か
食い込むという成績を残し、、
引退の時季に一定の充実感は
ありました。

しかし、同時に
「現実的な事実」も
突き付けられました。

「自分は実業団で活動できる
レヴェルの選手ではない。。」

「運動音痴」は「克服」した
つもりにはなっていました。

しかし、苦労して上達したので、
その競技を行うコトに
「執着」も生まれていました。

「これから何をやって行こう。。。」

途方に暮れながら、
「やりたい何か」を見付ける為に、
取り合えず「大学の期間」を
獲得する為に、「残り8か月」で
どこか国公立大学に受からなくては
いけない。

高校3年の私は、
心が抜け殻になりつつも、、
「モラトリアム期間」を獲得する
為に、必死に8か月、駆け抜けました。

(二十歳に満たなかった私は、
その時視野が狭く、そうする
コトしか思いつかなかったのです。)

大学入学後もムリを続けて、
1年次に倒れるコトになりましたが、、
それによって、
「社会福祉士・精神保健福祉士になる」と
いう「やりたい何か」が見つかりました。

「執着」というモノは、
それに対する「依存」と言えるの
かも知れない。。

しかし、「執着」から離れた、
「宙ぶらりん」な状態で頑張ると
いう状態が、最も苦しい。

今も、
「社会福祉士・精神保健福祉士で居る」と
いう状態に「執着」しているの
かも知れない。。

けれども、
「執着という依存」の中で
積み上げるのは、そんなに
苦しくはないです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?