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空っぽの部屋 2

空っぽにした部屋を出て就職したオフィスは、天神の繁華街のすぐそばだった。通勤には耐えられないだろうと思ってオフィスの近くに小さな部屋を借りた。

小さな窓を開けたらすぐに隣のビル。電熱線のコンロが一口と流し台があるだけのキッチンに、ユニットバス。昼間でも薄暗いその部屋だったけれど、美穂は初めての一人暮らしが楽しくてたまらなかった。

行きたいところもやりたいところも特に無いから、平日は気の済むまで働いても別になんとも無かった。家に帰るのは大体21時過ぎ。コンビニかスーパーで買った夕食を食べてシャワーを浴びたら、ただ寝るだけ。それほど高くも無い給料だったけれど、お金は自然に貯まっていった。

同僚たちも多くが美穂と同じ専門学校卒や高卒で、おとなしい人ばかりだったのも嬉しかった。メンバーはいつも大体10人くらい。半年で辞めてしまった人もいるけれど、業界の中では比較的長く続ける人が多い会社だと先輩は言っていた。携帯電話向けのゲームは当時は引くて数多の状態で、仕事に困ることは無かった。というか、どちらかというとオーバーワーク気味。

コウヘイが中途入社してきたのは、美穂が入社して2年半後。人好きのする笑顔と確かな技術力で、彼が会社の人の輪の中心になるまでに、それほど時間はかからなかった。

美穂もまた、2年余りの時を経て少しずつ変わっていた。もともと食べることにはそれほど興味が無かったから、一人暮らしになって食べる量は目に見えて減った。自分で鏡を見てもやせたなと思うくらい、体型が変わった。

仕事をして貯金ができてくると、心にも余裕が生まれた。何もすることがない日曜日に少しずつ勉強して、二十歳までほとんど触ったこともなかったメイクも覚えた。仕事でオフィスを出るのが23時を過ぎたある週末、初めて酔っ払った男たちにナンパされた。無視して眉間に皺を寄せて早足で通り過ぎたけれど、内心はドキドキして、自分が怒っているのか、嬉しいのか、またその両方なのか、わからなくて少し落ち込んだ。

最初に声をかけたのはコウヘイの方からだった。夜のオフィスにはレイコと、コウヘイと美穂の3人だけ。仲の良いレイコと新しく始まったアニメ映画の話をしていた時だ。

「え、じゃ今から行きましょうよ」

コウヘイがそう言って、察したレイコが「私は見たから行ってきたら?」とすかさず返した。別に嫌な気もしなかったから、そのまま仕事を切り上げて近くの映画館の最終に駆け込んだ。

映画の出来は素晴らしくて、美穂はしばらく椅子から立ち上がるのを忘れていた。帰り道、人もまばらになった天神の街を歩いた。

みほが嬉しかったのは、二人でずっと映画の話ができたことだ。専門学校でも会社でも、友人らしい友人がいなかった美穂にとって、自分たち以外のことを熱心に語り合うのはあまり無いことで、楽しいとか、好きとか、そういう気持ちを共有できるのはこんなにも幸せなことだと気づかせてくれたのは紛れもなくコウヘイだったし、その分、もう二度と今生の中で彼とそういう時間を過ごせないという事実が、今でも時々、スコールのように美穂に襲いかかる。

映画の夜から2ヶ月後、コウヘイからの申し出で二人は付き合い始めた。このまま、結婚して、郊外に家を買って、暮らすのかもしれない。シンプルでも、暖かい家になるといい。そんな未来を想像することもあったけれど、数年後に美穂が実際に目の当たりにしたのは、また空っぽの部屋だった。

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