見出し画像

もっと自然に

 自分の語りたいことをもっと自然に書けるようになりたいと思った。
 ここ数回の投稿は挑戦して実験的に書き方を意図的に変えていたが、やはりそれは自分には合っていなかったようだ。不自然に感じてしまった。
 また、今こうしてまた書くことができているが、今こうして書いているこの瞬間までたどり着くのに、つまり、また再び書けるようになるのにそうとうな時間を要した。以前のように楽に(厳密に言えば楽ではないのだが)文章を錬成することができなくなっていたのである。それにはいくつかの理由があると思う。環境的要因・精神的要因・その他外的要因など。それらのせいにして書くことを諦めることもできただろうが、わたしの中のストイックな自分がそれを許さなかった。逃げることは簡単である。ここでいかに自分と向き合い、再び筆を執ることができるか。それに文筆家としてのプライドがかかっている気がしている。なにも、すべての文筆家にそれを求めているわけではないし、強要するつもりは毛頭ないし、そのような立場に自分はいない。あくまで、自分の中の線引きとして、そのプライドはあるのである。
 わたしは自分に対して甘い態度ではいたくない。特に文筆活動においては、自分のそうしたストイックな姿勢を自分なりにそれなりに評価してもいる。そうでなければ、ここまでやってこれなかったと思うし、簡単に途中で挫折して、いつものように中途半端でやめていただろう。それではいけないと思った。だから、どんなにしんどくてもやめなかったし、ありがたいことにそこまでしんどいと思うような局面に今まで直面させられることがなかった。恵まれているということである。そうした環境にはとても感謝している。
 しかし、最近挫折といえるような一種の「壁」に遭遇することになった。何度も言うが、この「壁」をさまざまな要因のせいにして逃げることは、わたしのプライドが許さないし、それで逃げるようでは文筆家といえないとも思うのだ。
 「壁」にぶつかった一方で、成長した部分もある。読者の皆さんに気付いてもらえているかはわからないが、新たに自分なりに工夫するようになった部分がいくつかある。それを明言するのは無粋だと思うので書くことはしない。気になる方は意識して読んでもらえればと思う。
 わたしの執筆スタイルに関して、自分でもこれといってものすごく意識していることがあるかと言われると、特筆しては存在していないともいえそうなほど、わたしは脳内から直接的にそこまでの(ある種不自然ともいえるような)変化や加工をせずに、そのままエディターに書き込むというかたちで執筆をしている。この点で言えば冒頭でのべたような自然であるということについては、気にするまでもなくすでにクリアしているのではないだろうか。
 自己評価に胡坐をかいて、努力や精進する姿勢を怠ることはいけないと思う。わたしはそういった態度にはならないように気を付けている。怠慢は伝わる。それは読者に対して失礼に当たるとまでわたしは考えている。当たり前の事実でもある気さえする。わたしは自分のストイックな姿勢を自慢したいわけではないが、ここに記しておくことで自分に対するけじめになると思ってこうして執筆しているのだ。
 翻って、冒頭のような「自然さ」を、わたしはわたしのやり方で執筆することでまた取り戻すことができた気がする。こうしてまたわたしは、書くことができる。進みだすことができるということだ。