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ゲームのプレイヤーは全部の設定を知ってる訳ではない。

今私たちが生きているこの世界を
ゲームだという人たちがいる。

その上で 通常プレイヤー時にはどうにかできるような話をしていて
ゲームの環境設定だからどうにもできないという人がいる

それが環境設定値かどうかは実際はプレイヤーにはわからない。
全部のシステム環境設定において
わかっているなら それもいえるが

プレイしている人間はそれはわからない
設計者であっても 認知不可能なのである。

この世界はマトリクスのような世界だとたとえる
ならば あの話のように 全てが設計者の思い通りにならない

環境設定は変えられないと植え付けるそれが
何とも気に入らない。
それが環境設定値かどうかもプレイヤーはわからないだろう
私たちがゲームで遊んでいる時
その主人公に感情があったとして ゲームの世界の中の設定以上のことはわからないし知ることもできないが
それを動かす私たちはその外の世界のことを知っているというのと変わらない。

中にいるものにはその世界の境界線も 設定も
わからないものだ
リアルで自分の顔を自分が見ることができないのと
おんなじだ
鏡で見ることはできるだろうが
それは自分自身のそのありのままの形ではない
同じように見えて 違うのだ

環境設定でどうにもできないもの
その思考回路が相手の思考を縛り
変えられないものという固定概念を植えつける行為であるから
怒りを感じるのだ

親は選べないのと一緒だという口で
子供が親を選んで生まれてくるのだという思想を語る。
それが何とも気持ち悪いのもあるが・・・。

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