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継続中だから言えること。

毎日note更新 継続中だから言える事がある。
10日継続の人は そこまででしか語れない
30日継続の人はそこまででしか語れない
100日だって 365日だって 500日だって 700日だって 1000日だってそう。

その時点での メリットデメリットしか書けない。
ましてや 辞めてないから 継続したその現実しか書けない 
その目線からしかかけないのよ

1000日以上続いている私に
1000日続いていない人が書く
継続のデメリットを書いた記事は役に立たない
だって・・・その先を知らないじゃない。
その人のその時点でのデメリットしか知らないんだもの・・・。
結局、 メリットデメリットは続けるなり やらないための言い訳のために探すのかもしれないよ
最終的に自分が決めて 自分の成果でしかその行動やそのものの価値は測ることはできないと思うわけ。

これ時マヤとかやってると 色のタイプで
心底そういう体験からこれを発信したいのか
戦略的にやってんのかってのが見えたりもする。

始めて 続けていけば 必ずそこは通る人がいるから
絶対役に立つ記事なんだとかいうて
期間が短くても メリットデメリットの記事がいいとかアドバイスするような人もいるようなんだけど
ある程度 成熟している 結果作ってる人がいる場合ってそれ今更?の市場だったりもするので
見極めは大事かもしれないよね

ただ発信したいだけなら OKだけど
それで何か見返りを求めているなら・・・
ちょっと違うかもしれないよね・・・。

毎日noteを1000日以上して
メリットしかない。
デメリットだと思うことを メリットに変えていく
その作業をし続けるそれが継続していくポイントだから

第三者的にデメリットと見えても それは 
今のデメリットなだけかもしれないし
やってない人からみたデメリットでしかない
自分にとってデメリットだと思うことよりも
もっともっと メリットであるものの方が大きければ 
デメリットなんて 解消することで 面白さを生み出すためのアトラクションみたいなもん
そんなふうに考える方が 辛くないかもしれないよね

時間がないからできない
そんな書くことない
そういう人もいると思うし
自分だってそんな時はある。
でも一日 一個でも何か ここに書く それを続けているから 見えたことも 知ったことも 山ほどある。
周りの人たりが いなくなったり 変わらず 記事があがってきてそれが当たり前を作ってくれているから
見えたこと 知ったこともいっぱいある。

記事書きながら寝落ちして 決めた時間に上げられないことだってしばしばだが
それでも 何かしら どこかに 自分のその時の言葉を残すことをし続けて良かったことの方が大きい
毎日note継続しているからこそ 味わう感覚
し続けたからこそ かける言葉
その言葉にまとうエネルギーは 1000日以上だからこそなんだよ・・・
365日の時とも 500日の時 とも違う 今だからかけることなんだと思う・・・。

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