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エッセイを書いて 自分の占いに対する見方を確認した。

ずいぶん前の話なのだが
ルクア放課後スクール に参加した事で いくつか
自分の中に入ってきた視点や やる気みたいなのがあるのだが
その一つの 成果物的なものに

自分にとって占いっていうものの捉え方ってところを文章化していたことかもしれない。
という感覚のものがあった

当日の講師は 大阪芸術大学特任教授 小川光生 さん
講座の後に送った物語の中に 占いというやつのことを書いた。物語の主人公は架空ではなく私
その数日間に起こったことを文字に起こしたことがきっかけだった。

私のとっての占い

歯ブラシや靴 洋服
あぁぁ 私にとってはメガネかもしれないな
占いというものを私は道具だと思っている
毎日つかう道具。
私はメガネがないとほとんどみわからないくらいの視力なのでメガネは必須アイテムだ
占いも必須アイテムの一つという意味でも
万人に必要か 必要でないかという意味においても
必要な人だけのための道具としてのメガネの役割ってのは おんなじカテゴライズしてもいいかもしれない。
私は 提出したその作品の中で占いの使い方を サーフィンのようだと書いた。
サーファーは乗る波は自分でえらぶ
いい波かどうか自分で判断して乗りに行くもんだと思う。
人生はきっと そんなサーフィンと似ているんだろう
運気の波にどう乗るか どれに乗るか? それを知って乗りに行く それはプロの運気の波乗りと言えるかもしれない。
乗るかどうかは 自分で決めるんだ よりいい波に乗るために何をするのか? そういう感じなんじゃないかと思ったのだ。

必要な人 必要でない人がいて
自分でチョイスして進むために使うもの
それが占いって存在なんだと 私は思っていたようだ。
別の側面での認識は
自分の取り扱い説明書・・。
いや、仕様書みたいなものだ、どんなスペックの初期装備なのか?明確にしているようなものにもなる

私にとって占いってやつは サクッと使える知識でもある
小学校で習う 文字や計算みたいなものでもある
難しく学んだことより 基礎のところだけで話をしていて十分に
役に立っている。

私にとっては 占いは通訳でもあった。
聞こえない何かから伝えられた ものを言葉にするためにある
ドラえもんでいうと 翻訳こんにゃくみたいなもんだろう
占いという一つのツールのおかげで 
私は より楽しく よりいろんなことをキャッチできているのだろう

占いが出来る ヒーリングが出来るは
実は言語を一つ操ってるのと変わらないのかもしれない・・・・

英語やドイツ語はさっぱりでも 私は占いという言語に対しては
通訳レベル中々に高いひとりだとおもうのだった

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