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まるっと 大事とまとめる癖・・・。

私は理解を まるっと 全部に当てはめる事がある
ガッツリ 細分化していくこともあるのだけど
全体的にバランスが取れているなら
まるっと!とまとめてしまう。

余分な情報だろ!みたいなものも含め
まるっとの中に入れる・・・。
その過不足があるからこその 絶妙なバランスだったりするから 「まるっと」使うのだ。

めんどくさいからではない。。。
めんどくさいも時にあるけどw

基本・・・ふみぐら社さんは 
的を射ていて・・・むむ あわわwとか
そうそれ〜❤️となる😅

この記事ってね めっちゃ ルーンのイングっていう
スペルっぽいんだ
例えるなら 冬の土づくりみたいな感じ

“書く”ということのためには 
書くものの種が芽を出す環境を整えておかねばならないってこと。
土に栄養がなければ 種は大きく実ことはない。
それとおんなじなんだってことだと思う

土を耕す 例えはこの記事でも使われているけれど
書かない時間というのは 
植えるための土の状態を豊かにしておくってっことなんだと思う。

森の土が作られていく状況
冬の間の つちでおこっていること
落ち葉を見えない生き物たちが 土の栄養に取り込んでいく 
そんな作業の時間が “書く”ということに対して
書いていない時間に当てはまる
そのことを書いていない時間
全てが その記事に影響を与える。

結局体験を起こせているか
それとも頭だけで偽装されたものかでも
言葉一つ一つの力ってっ変わってくる。
その上に読み手の力も かけ合わさるのだから

書き手も 読み手も 書く時間 読む時間 それ以外の時間が その作品 その文章の価値を変えていくのかもしれない。

そう思うと・・・。
あなたにこの文章を読んでもらって幸せだ!
って思える人と出会える文章は
すごい奇跡なのかもしれないね・・・。
幸せな文章なのかもしれない・・・。

書く時間 書かない時間 どっちも愛おしく
大事にしていきたいなと 思うのだった・・・。

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