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ありがとう、が言えなくても

母も私も、ありがとう、が面と向かって言えない。

私は、毎年母に誕生日プレゼントを渡す。去年は、初任給でプレゼントを渡した。たまにお菓子やスイーツを買ってあげたりもする。だが、ありがとう、の一言がない。目で、もしくは口で、えー、すごいじゃん、やった!なんて嬉しそうな様子を伝えてくる。

母は、仕事終わりに私に、私が好きそうなお菓子をいろいろと買ってきてくれる。今年の誕生日は、スポーツウェアをくれた。しかも私が超好きそうなやつ。だが、私はありがとう、が言えなかった。母と同じく、え!嘘、やった!なんて、喜んでいる様子を伝えた。いつだってそうだ。

意地悪をしているわけではない。ただ、「ありがとう」の一言が言えないのだ。「感謝の気持ちを伝えよう」、というスローガンは嫌というほど小学校の廊下のポスターで見てきたし、人間、人様の力を借りて生かされているのだから、なんにでも感謝の気持ちを持つことは大事である、としみついたその不文律は、もちろん私も常識として持っている。実際私は、母親以外には、誰だって、ありがとう、の気持ちはよく伝えている。

だが、私は、母には「ありがとう」、を言うのがどうしても苦手だ。こっぱずかしくて、ばつが悪くて、どうしても、口から出てこない。言いたいんだけど。今までいってこなかったから、今更いいか、とか。

私は親にはかなり心配をかけてきた人間だ、というか、あまりにも自分の足で立つということを学ぶまでにかけた時間が、長すぎた。

中学時代は、部活に明け暮れ、遊んでばかりいた。
高校時代から大学時代の前半まで、子供じみた反抗を繰り返していた。
20代前半の私は、恋愛に溺れた。彼氏のところへ入り浸り、家にはほとんど帰らなかった。依存がひどすぎて、DVをされても、なかなか離れられなかった。

だが、それも25歳に近づくにつれて、やっと私はまともな人間になった。私が母親の娘として生まれてきたことを受け入れ、この世の条理・不条理を受け入れ、自分で人生を作っていこう、と思うようになった。

22歳から24歳までの二年間、極度に真面目な性格のため真面目に就活をし、去年、あこがれの外資企業に入社した。私の就活の目的は、就活をしていた際に第一志望に落ちたときの自省録に、はっきりと記載されていた。

「親を喜ばせたかった。それだけでした。」

第一志望がだめで、一時期鬱を抱えたこともあったが、それでも何とか続けて、今の会社への就職が決まった時。母親の、私への態度が変わった。母親が、私を認めた。たぶん、我が娘が誇らしい、と思っている。

私は、母親に、「内定貰ったよ」と小さな声で言って見せた。しれっといったけど、ここで私は一つのチャプターというか、役目が終わったと思っている。私は、もう、就活を、今までの母親の厳しいしつけだったり、教育だったり、与えてくれた自由と機会を、全て還元させるつもりで続けていた。それでは、自分のためではない、と言うひとがいるかもしれない。だが、2年間戦ったことは、母親のためであると同時に、自分への救済でもあった。

ー私は、行動で見せたよ。お母さんを喜ばせられたと思うよ。これで、今までのありがとう、伝わらないかな、なんて。虫の良すぎる話であることは分かっている。だけど。

ありがとう、って、やっぱり言葉で示さなきゃ、ダメかな。

母親も結局、私と同じなのだ。私の祖母、母親のお母さんには、ありがとう、なんて言われたことなかったらしい。まあそのせいなのかは酌量の余地があるとして、母親も、「ありがとう」を行動で示す人だ。というより、私への態度で示す。私が何かを達成したとき、プレゼントしてあげたとき、風邪をひいたとき、駅へ車で送ってくれるとき。直に喜んでくれるし、嫌だとかめんどくさいとかいいながら、やってくれる。そこに、言葉がないだけ。

つまり、

ありがとう、だけで伝えきれない全てが、ありがとうという言葉の他の全てに現れている。「ありがとう」は確かに感謝の気持ちを表す言葉だが、それは、記号に過ぎない。

ただ、プライドとか恥を捨てて、言えばいいだけなのに、お互いそこは譲れない、そんな状態がまだまだ続いているけれど、いつか、はっきりと言えるようになりたい。それまでは、行動で、態度で、ありがとう、を伝えていくつもりだ。


(あとがき)
このエッセイを書くにあたって、「反出生主義」という言葉がどうしてもちらついて仕方がなかった。それは、私がつい最近まで持っていた、そもそもなんで生んだの、望んでないでしょ、という、私が生まれてきたことを否定する思いを代弁した言葉である。私にこの思想が沁みついたのは、2年前に読んだ太宰治の「斜陽」でも出てくる、兄の発言に基づいている。ああ、自死も救いなんだな、と考えたとき、母親という存在は時に聖母に、ときに悪魔に変わる。

反出生主義とは、「生きることそのものが苦しみであるのでそもそも生まれてくるべきではない」、「この世に生まれる子供のことを思えば子を産むべきではない」といったような、人がこの世に生を受けることそのものを否定する厭世観的な考え方。( https://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8F%8D%E5%87%BA%E7%94%9F%E4%B8%BB%E7%BE%A9 )
⇒今思うと、こんなんしょうもない、と思うかもしれないが、嫌なことが続いたとき、この厭世的主義にすがりたくなることもあるのだ。

ちなみに、この主義を実話に基づいた映画にしたのが、自分たちを劣悪な生育環境のもとに生んだ親を訴える子供たちの様子が描かれた「存在のない子供たち」である。この映画について知った時、私は、ああ、やはりそういう考え方もあるのだな、と少し納得したような気分になったのを、今でも覚えている。

何が言いたいかというと、私が、上記のような考えを持つようになってからというもの、私の遅れた反抗期がやってきた。私の高校から大学までの反抗期の原因はこれだ。
何かに、ムカついていた。結局、自分が解決するしかないのに、それを受け入れるまでが長かった。今になって、生まれてきたことを受け入れて、乗り越えて、まだそれでも、すべてを手放してしまいたいような気持になる。だからこうして今日もNoteを書く。感情はあまりにも起伏が激しく、思いやひらめきは瞬時に書きされてしまうことも多い。そんな思考の流れを、長い間考えて自分なりに導き出した、本当の意味での感謝を、記してみたくなったのである。


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