オトナ帝国の逆襲の感想を書くゾ

世紀の大名作『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』を久方ぶりに鑑賞したのでFilmarksに感想を書いていたのだが、あまりにも長くなったのでnoteに投稿する。

Filmarksに一度書いたものをただコピペしただけなので変な箇所があっても気にしないでください。全て個人の感想なのであしからず。

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何回観ても素晴らしい作品だなと思います。
まず「ノスタルジーよりも未来に生きる」というテーマがいいし、ギャグ部分もすごく面白い。バスで逃亡するシーンとか言葉じゃなくて作画でギャグにしてるのが最高。

脚本、演出、作画など全てがいいと思うこの作品でただ一つ不満なのは、結末が「家族」という集団の良さに収束してしまっているところだ。

それが端的に現れてるのはやはり感動シーンとしても有名な、ひろしがエレベーターの扉が閉まるのを阻止しながらケンとチャコに「俺の人生はつまらなくなんかない。家族がいる幸せをアンタ達にも分けてあげたいくらいだぜ」と言い放つ場面だろう。
幸せというのは個々人で違うと思うし、人生の楽しさや幸せの価値は家族の有無では決まらないと思う。(もちろん家族がいるのが幸せというのもいいと思います)

その他にもケンとチャコが自殺しようとして鳩の家族に邪魔されて止めるのや(「また家族に邪魔されたな」という台詞まである)、映画のラストカットが自宅に入る野原一家というのもかなり象徴的だ。

それに対して、敵であるケンとチャコは家族ではなく恋人同士であり子供はいないという設定なのはやはり対照的になっているのではと思う。(前述のひろしの台詞の後、ケンの苦々しい表情のカットが入るのはかなり示唆に富んでいると思う)

昭和へのノスタルジーたっぷりな「ALWAYS 三丁目の夕日」の公開が2005年だったことを考えると、2001年公開の映画で昭和へのノスタルジーを扱いつつも、未来へ生きるべきだというテーマにした今作はとても進歩的なのに、結局は「家族という存在の良さ」に収束してしまったのが残念なところだ。

だが、不満点を補って余りあるこの映画がやっぱり良いなと思う点は、主人公しんのすけが未来に生きたいと思った理由が家族とかではなく自分が大人になりたいからという利己的な理由だったところだ。
ケンとチャコに追いついたしんのすけは「オラ大人になりたいから…大人になってお姉さんみたいなキレイなお姉さんといっぱいお付き合いしたいから!」と言う。
この台詞がやっぱりこの映画で最も素晴らしいところの1つと思うし、この映画の核であるべき部分だと思う。

かすかべ防衛隊との、バーにいる大人の真似ごっこのシーンの後に言う「いやぁ〜大人って楽しいなぁ」や、飛び降り自殺しようとしたケンとチャコをバンジージャンプしようとしてると勘違いして「ズルいぞ!オラにもやらせろ」と言うシーンなど、しんのすけは自分が未経験なこと=大人が経験していることに対して楽しんだり羨んだりしている描写がある。

ケンとチャコに「とーちゃんとかーちゃんとひまわりやシロともっと一緒にいたいから」ともしんのすけは言うが、1番の理由は大人になって色々な経験がしたいということなのだと思う。それは家族の有無という他人の存在に依るものではなく、自分自身に依る生きる理由である。

家族主義の何がいけないのかと問われると私は明確にその問いに答えることが出来ないのだが、私は人が生きる理由やアイデンティティというのは他人に頼るものではなく、自分自身にあるべきだと思っている。
時は令和になり結婚して子供がいるのが幸せという従来の価値観だけではない多様な生き方の尊重が議論されるようになった。そんな中しんのすけの生きる理由は家族という単位の中で生まれたものではなく、自立して生きる一人の人間として選択したものであることが、この映画をいつの時代でも、どんな人でも鑑賞することが出来る普遍的なものにしていると思う。

過去は過去で良いものではあるけれど、ひろしの回想にあったような楽しかったり辛かったり、そういった色々な経験をするために人間は成長する=未来へ向かって生きるべきだ、という強いメッセージを、まだ懐かしむという感覚が薄い5歳児であるしんのすけに言わせているのが本当に素晴らしい。

私も大人になってあの頃はよかったと振り返ることが増えたが、それよりもきっとまだまだ自分の知らない楽しいことがあるはずだと希望を持って未来に向かって生きていきたいと改めて思わせてくれる作品だ。

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