差別やめよう!が生む差別

今巷では黒人差別が非常に話題になっていますね。
私も以前から差別について解決できずにいる疑問があるので少し文章を綴ってみようと思います。考えがある人、教えてくれたら嬉しいです。

「そんなに見ないの!」は差別か?

昔どこかの何かの講演で、

道を歩いていた身体障がい者をそばを通った小さな子供がじっと見つめていたところ、母親が、「じっと見ないの!失礼でしょ!」と注意した。
というエピソードについて、
この差別意識を子供に植え付けまいとした母親こそが身体障がい者を差別をしていて、子供はなにも差別をしていない。

という話を聞いた。確かに、小さい子供に差別の意識が既に植え付けられているということは考え辛く、ただ"あまり見たことのないような人"だったから見ていただけで、それだけでそこに負の感情があったと判断することはできない。それは差異であって、見下したり、嫌な感情を持っていない限りは差別ではないのではないかと私も思う。

そこでもし、子供が、例えば「へんなのー!」などという言葉を発したときに初めて差別が生まれ、親の役目はその認識を正すことにあるのではないだろうか。

このエピソードの例だと、親も「あの人が差別を受ける人だから見てはいけないんだよ」という無意識下の潜在意識が働いているようにも思われる。(ただ、じっと見るのが相手が誰であれよくないと注意した可能性も考えられるなと私は思った記憶がある)こういう講演だった。

この話を私はずっと忘れることができない。

差別は、誰かを自分より劣等だと思ったり決めつけたりすることであり、他人とのフラットな認識での差異については差別にならない。そこに優劣をつけずにただ事実として、「あなた、私と違って腕が長いのね。」と言っただけでそれは差別だ!と言われたらたまったものではない。

これを意識してから、差別についてよく分からなくなった。

この間見たとある動画では、アメリカでみんなでバスケをした帰りに、「さっきの黒人強かったな」と何気なく言ったところ、アメリカの友人に、「(差別として捉えられるから)あまりそういうことを言わない方がいい」と注意されたという、"気付かない内に差別をしていることがあるから気を付けよう"という内容があった。

私はこれにも違和感を感じた。確かに、自分に悪気がなくても相手を傷つけたら差別と言われても仕方がないし、気を付けなければならないことは確かだ。しかし、この事例では黒人を見下しての発言ではないということは誰からも明らかであるし、むしろ誉めているではないか。と思う。それはただ一番誰のことか分かりやすい特徴を指示しただけの言葉であり、その場に1人しか黒人がいなかったとして、そこで逆に伝わりづらい「あの黒の洋服を着ていた人強かったな」などといったら、黒人差別を意識しすぎて逆に差別の意識が根底にあるように感じてしまう。黒人を見ただけで黒人差別を意識します!と言っているみたいで、そっちの方が私は気になってしまう。

「黒人」という言葉自体に差別意識としてのイメージが植え付けられており、黒人以外の人が黒人に対して肌の色に関しての特徴を指してはいけないということは分かる。けれど、これって「差別するな!」と言っている黒人も肌の色が黒いことが悪いことだと自分達以外全員が思っているという前提を疑いもせず掲げていることにはならないだろうか。それはむしろ差別をまったくしていなかった人々にその差別の序列を意識させることにはならないだろうか。つまり、そういった意識が逆に差別を拡大することにはならないだろうか。

私は考えすぎだとも思う。けれど、どうして「黒人」(=肌の色が黒いということ)を極端に言えばむしろ褒め言葉だと受け取れないんだろうか。

悪いのは差別している側、これは確かな事実であり、差別に苦しむ人々は被害者である。それを否定するつもりは毛頭ない。

だけど、肌の色が何色だろうと平等に、事実として告げられた、(たとえば私だったら)「肌黄色いね。」を、それは差別だ!と糾弾し相手を責めるのは、自分でどんどん自分を苦しめてしまうと思う。

私は無知だ。根深い差別問題などほんの表層しか知らずにものを言っている。それだけ過敏になってしまうようなことがずっと続いてきたことも容易に想像がつくし、この騒動の発端となった悲惨な事件を知ればそれだけで過敏になるのも仕方ないと思う。

けれど、差別意識のない人からの言葉をいちいち取り上げ糾弾していては、いつまでたっても自分達以外は全員敵のままだ。味方になり得るはずだった人達を、自分から突き放してどんどん他の人達と乖離していってしまう。

私が言いたかったことは、例を身近なものに変えると、日本人の一重二重とか、鼻が低い高いとか、一般的に良いとされている、美とされているものがあることは分かるが、(ただ自分が自分でそれを嫌いな人はともかく)他人からそれを劣等だと指摘されたくないという人は、もしそれを揶揄されても、「あら、私の低い鼻に気付いてくれてありがとう。チャーミングでとってもかわいいでしょ?」と自信満々に(実際は自信がなかったとしても)相手を負かしてやる、みたいな方向性で戦う強さと、「鼻低くて可愛らしい顔だね」とほんとうに誉められたときに、それをちゃんと褒め言葉として受け取ることのできる優しさを持つことが出来たら、少しずつではあってももっと徐々に平等になれるんじゃないかな、ということです。

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