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あをによし奈良の旅-その7-

興福寺
710年、平城遷都の際、 藤原不比等が飛鳥にあった厩坂寺を移築 その際、興福寺に改名したそう


藤原氏の氏寺として寺勢を拡大し、奈良時代には南都4大寺、平安時代には南都7大寺の1つとして栄え、さらに鎌倉時代には大和守護職も勤めていたとか
#世界遺産

武士ではなく僧が守護職になっている時点で興福寺がいかに特殊な寺院だったかがわかる
戦国時代には、織田信長と同盟を結びながら"奈良法師"と称された多数の僧兵を抱え、勢力を維持し続けたそう
興福寺といえば子院・宝蔵院の僧、胤舜がいた
それなら強いか
バガボンド、早く再開しないかな

五重の塔
高さ51m、京都・東寺の五重塔に次いで日本で2番目に高い塔 730年、光明皇后により建立
たびたび火災で焼け落ち、その度に建て直されてきたそう
現存の塔は、1426年築とされる
ということは松永久秀と三好三人衆の間で起きた東大寺大仏殿の戦いの時、ここは影響は受けてはなかったことになる

東大寺大仏殿の戦い(1567/11/11)
日本史史上稀にみる市街地戦
しかも夜間に行われた合戦
地図で表してみると、なるほど興福寺の五重の塔が被害を受けなかったこともわからなくもない
むしろ正倉院がよく無事だったのが不思議
だとすると東大寺焼き討ちは松永久秀の計略でなく火事説の方が説得力ある

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