見出し画像

左眼の鴉 第二話

 皆様ごきげんよう。またお会いしましたね。オッド様に使える神の使い、「ルース」でございます。

 皆様は「あの時ああしていれば良かった」と思うことはありますでしょうか?

 あの時、もしこれがああだったら。

 あの時、ああしていれば。

 すべてたらればでございます。あなた様方人間は、変えられぬ過去に囚われ、クヨクヨする方が多いように思います。

「後悔先に立たず」「後の祭り」「覆水盆に返らず」・・・過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がないという意味のことわざはたくさんあります。

 私たち神の使いは「後悔」などしたことはありません。失敗は次に活かす糧にしております。

 今回、私が紹介する人間は、変えられぬ過去に囚われてしまった方でございました。オッド様の薬で改善するといいのですが・・・。



 その日は雨で視界が悪かった。秋になり、すっかり日が暮れるのが早くなった。外はもう暗くなっている。その田舎道は天気の悪い夕方には通行人も車両もめったに通らない。

 そんな田舎道を自動車が一台走っている。運転する男は、「今日の晩飯は何にしようか」なんて考えながら車を走らせる。

 助手席に置いてあるスマートフォンの画面が光った。何かのアプリの通知だろうか。最近は様々なアプリの通知でひっきりなしにスマートフォンに通知が来る。通知のほとんどはどうでもいいような内容であるが、友人からの連絡や職場のグループラインの連絡だったりすることもあるので確認しないわけにもいかない。運転しながら、助手席に手を伸ばしスマートフォンのロックを解除する。

「なんだ、Twitterか」

 フォローしているインフルエンサーが何かを呟いたことを知らせる通知だった。運転中にも関わらず、ロック解除をしてしまった惰性でTwitterを開く。男はタイムラインを何も考えずにスクロールする。

 男がスマホに意識を向けていると、危険を知らせるアラーム音が車内に響くと共に、急にガガガッという振動がアクセルに置いた右足に伝わる。自動ブレーキが発動し、車は急停止したが、その直前に何かに衝突したと思われる鈍い衝撃が車内全体に広がる。

「ヤバい!何かにぶつかった!」

 スマホをポケットにしまい、男は雨の降る車外に慌てて飛び出す。

 自動車の前には、赤い自転車が倒れており、その脇にモスグリーンのレインコートを着た中学生位の女の子が倒れていた。部活か塾の帰りか何かなのだろう。

「大丈夫ですか?」

 男は慌てて女の子の元に駆け寄り声をかける。女子中学生は額から出血している。返事が無く、意識を失っているようだ。

 後ろを振り返ると、見る限り自転車は変形しておらず、まだクルクルと後輪が回っている。暗くてはっきりとはわからないが車も大きな破損は無いようだ。どうやら軽い接触をした後にバランスを崩した女子中学生が転倒し頭をぶつけたようだ。 

「俺のせいじゃない・・・この娘が勝手に転んだんだ・・・」

 男はつぶやきながら周りを見渡す。雨のせいで視界が悪くてわからないが人はいないようだ。ここで警察や救急車を呼べば加害者として賠償を求められるかもしれないし、仕事もクビになるかもしれない。

 男は少しの間考え、車に戻りそのままシフトをドライブに切り替え立ち去る。

 雨の中、事故現場から立ち去る自動車を電線に止まるカラスが見ていることに男は気づかない。

 朝のさわやかな音楽と共に早番の職員たちが入所者たちを食堂に集めている。これから朝食の時間のようだ。動きやすい紺色のポロシャツとジャージ素材のスラックスに身を包んだ男が病棟のナースステーションに入ってくる。 

「おはようございます・・・」

 俺は瀬下雄一。32歳、仕事は介護福祉士。昨日はあまり眠れなかった。帰り道に接触事故を起こしてしまったが、気が動転してその場を立ち去ってしまった。翌朝、車をチェックしたが、目立った傷は無く、おそらくあの娘が勝手に転んだのだろう。出勤する途中、あの場所を通ったけど、警察もいなかったし、何事も無かったかのようだった。あの娘は無事だったのだろうか?

「おはよう、瀬下君。なんか目の下クマ出来てない?あ、そういえば聞いた?昨日あそこの県道で中学生の女の子が倒れてて救急車で運ばれたらしいよ。瀬下君の通勤路だよね」

 横山さんだ。俺の5年先輩の介護士で噂好きの既婚女性。田舎のこの辺りで何かあれば横山さんが拡声器となる。

「へえ、そうなんですか。」

 俺はドキッとしながら仕事の準備をする振りをしながら答える。

「ちょうど夜勤に向かう中田主任が通りかかって、119番通報したんだって。南中学校に通ってる子で田島さんの娘さんだったらしいよ」

 横山さんは少し楽しそうに話す。人の不幸を楽しむなんて人間性を疑うな。
 田島さんは他の階の病棟に勤務する介護士の男性で、俺が新人の頃に色々と教えてもらった先輩だ。年齢は俺の10歳くらい上だったと思う。あの娘、田島さんの娘さんだったのか・・・

「そうなんですね、お気の毒に・・・。それで、娘さんの意識は戻ったんですか?」

 意識が戻って、俺の車のナンバーでも覚えていたらヤバい。

「それが、倒れてから時間がけっこう経ってて、雨に打たれてたから運ばれたとき低体温にもなってて、検査したら頭に血が溜ってたらしいよ。ってか瀬下君、誰かからもう聞いてた?意識無いってなんで知ってるの?」

 横山さんが首を傾げる。

「あ、いや、倒れてたって言うから、意識失くして倒れてたのかと思っちゃいました」

 俺は慌てて取り繕う。

「だよねー。でも雨で視界が悪くて自転車で転んじゃったのかなー。中田さんが通らなかったら危なかったよね。と言うか、今もまだ意識戻ってないらしいよ。あ、食事介助しなきゃ。幸三さんがまたボトボトこぼしてる!」

 横山さんは自分の言いたいことが一通り終わると食堂に食事介助に行ってしまった。

「意識がまだ戻ってないのか・・・」

 俺は少しほっとする。意識が戻ったとしても視界が悪く、ナンバーも見られていないだろう。車にぶつかったとわかっても俺が疑われることは無いと思う。不安が拭い去られてはいないが、考えても仕方が無いので仕事に取り掛かる。介護士の仕事は忙しく、仕事をしている間は余計なことを考えなくてもいい。


 事故から1週間が経った。俺はあの娘のことが気になりよく眠れない日々が続くが、仕事を休むわけにもいかず勤務を続けている。その日も午前の仕事が一段落し、昼休みに売店でパンを買い男子休憩室に行った。

「ああ、瀬下君お疲れ様。なんか疲れた顔しているね。ちゃんと寝てる?」

 田島さんが俺に気づき話しかけてきた。

「お疲れ様です。ちょっと夜更かしする日が続いちゃいまして。田島さん何日かお休みされてたそうですね。もう大丈夫なんですか?」

 田島さんはここ数日娘さんのことで仕事を休んでいると横山さんから聞いていた。

「そうなんだよ。誰かから聞いたかな。数日前の雨の日に、娘が自転車で転んじゃって救急車で運ばれちゃってね。打ちどころが悪くて急性硬膜下血腫で手術したんだ。先生からは発見から時間が経っちゃってて、意識が戻らないかもしれないって言われててさ・・・。家にいても仕方ないし、これからお金もかかるかもしれないから仕事しなきゃってことで今日から復帰したんだよ」

 田島さんも辛い1週間を過ごしたのだろう。目の下にクマを作り、頬がこけてやつれている。

「そうなんですね・・・。娘さん、意識取り戻すといいですね。」

 俺は田島さんの顔を見ると気の毒になったが、一方で娘さんが意識を取り戻さないように願ってしまった。田島さんと同じ空間で食べるパンは味がしなかったが、牛乳で流し込みながら無理やり飲み込み、逃げるように仕事に戻った。

 今日も仕事が終わり夜が来た。この1週間、罪悪感や自分の罪がばれてしまわないかという不安で碌に眠れない。体は休めないともたないので、布団で目を閉じてじっと朝が来るのを待つ。

 雨の中を車で走っていた。あの場所を過ぎる頃、急にブレーキがかかり車が止まる。白いモヤに包まれた車外に出るが誰もいない。安心して立ち去ろうとするが、急にガッと足首を掴まれ、前に進めなくなる。振り返るとそこには額から血を流して倒れたあの娘が顔を上げ、俺を恨めしそうに睨んでくる・・・

「ハッ!夢か・・・」

 布団から飛び起きる。悪夢で動悸がし、背中は冷たい汗で濡れている。時計の針は午前2時30分を指している。

「このままだと俺の身が持たない。いっそ警察に行くか・・・」

 頭を抱えてつぶやく。ふと部屋の外を見ると、2階の俺のアパートの部屋から見える電線に1羽のカラスが止まっているのに気付いた。カラスの眼は月明かりに照らされ赤く光り、こちらをじっと見ている。少し外の空気を吸おうと窓を開けると、カラスが俺の部屋に入ってきた。部屋をゆっくりと一周し、窓辺に止まる。

「なんだこのカラス!出ていけ!」

 おれは近くにあった漫画雑誌を窓に向け投げつけるがバサバサと雑誌は窓に届かず落ちる。

「だいぶお疲れのようですね。目の下にクマができていますよ。ちゃんと眠れていないのではないですか?」

 カラスが俺を見て人の言葉を話す。

「カラスがしゃべった!」

 俺もとうとう幻覚が見えるようになったらしい。精神科に行くべきだろうか。

「幻覚ではありませんよ。私はルースと申します。神の王族であらせられるオッド様の使いでございます。主より困った人を助けるようにといつも言われております。あなた様は今、大分お困りのようですねぇ。」

 カラスが流暢にしゃべっていることに驚き、俺はへたりと布団に座り込む。

「ああ、1週間前のあの日から俺は眠れなくなってしまった。あの娘が目を覚ましてしまったらと思うと俺は・・・!どうして俺はあの時逃げてしまったんだ・・・!」

 俺はカラスと話す夢でも見ているのだろう。どうせなら俺の苦悩をカラスにたっぷり聞いてもらおう。

「そうでございましたか。1週間前のあの日から眠れないのでございますね。おいたわしい。」

 カラスは俺を憐れむような眼で俺を見る。

「あの日のことを知っているのか?まあそうか、夢だもんな。」

 俺は自嘲気味にふんと鼻を鳴らす。

「夢ではございません。私、実はあの場面にちょうど居合わせていたのでございます。ご安心ください。誰にも話していませんし、他に誰もあの場所にはいませんでしたよ。知っているのは相棒のルークとオッド様のみ・・・。」

「あの時のことを見ていた?そうなのか。まあ、カラスが見たって言ったって信じるやつはいないだろうし、他に目撃者はやっぱりいなかったのか。ルーク?オッド様?なんだそれは。それで、お前はここに何しに来たんだ?」

 他に目撃者がいないと聞き少し安堵した俺は、なぜこのカラスが俺の所に来たのか疑問に思った。

「それはあなた様がお困りのようでしたので。オッド様からは困った人を助けるように、と常々言われておりますゆえ。」

 カラスは俺を助けに来てくれたのか?

「すごく困ってるよ。どうすればいいかな?あの日のことをいっそ忘れられれば安心して眠れそうだけどな」

 あの日から俺の時間は止まったままだ。気にせず生活できるほど図太くはなかった。このままでは俺は罪悪感で押しつぶされてしまいそうだ。

「そうですね、いっそ忘れてしまうのがいいのかもしれません。よろしければこれをどうぞ。手を出してください」

 カラスはそう言うと首に掛けた金色の筒から紫色のパチンコ玉ほどの大きさの玉を取り出し、俺の手の上に乗せた。

「これは・・・?」

 俺はカラスから渡された玉をまじまじと眺める。

「あなた様の症状を治す薬でございます。オッド様は研究熱心で様々な効果のある薬を作ることができるのです。私が見た世界を通じてあなた様のお困りごとを見抜き、あなた様に合う薬を私に持たせて下さいました。なんと慈悲深いお方でしょうか。」

カラスは主に感謝するように天を仰ぐ。

「薬・・・。これを飲むとゆっくりと眠れるのか・・・」

 こんなカラスが渡してくる怪しい玉を飲めと言うのか。

「これを飲めばあなた様はゆっくりと眠れると思いますよ。オッド様の薬の効果は絶対です。飲まずに、このまま苦しんで罪を償うのもあなた様の自由ですが。それではごきげんよう。」

 カラスはそう言うと、翼を広げ窓から飛んで行った。

「・・・まあ、こうなったら信じてみるか。仮に毒でもこの苦しみからは解放されるしな。」

 神の使いと言うカラスのくれた薬は実は神からの罰で、飲んで死んだとしても罪悪感の苦しみから逃れられるのならそれはそれでいいのかもしれない。

 連日の睡眠不足で判断力も低下していた俺は、それを勢いで口にし、机の上にある飲みかけの缶ビールで一気に流し込んだ。程なくして猛烈な眠気が襲ってきてそのまま死んだように眠り、朝を迎えた。


 朝のさわやかな音楽と共に早番の職員たちが入所者たちを食堂に集めている。これから朝食の時間のようだ。

「おはようございまーす!今日もよろしくお願いします。」

 瀬下がさわやかな笑顔で挨拶しながらナースステーションに入ってくる。

「おはよう、瀬下君。どうしたの?最近疲れた顔して出勤してきてたのに、今日はずいぶんさわやかじゃない。」

 横山がすっかり憑き物が落ちた様子の瀬下に驚く。

「え?俺はいつもさわやかで元気いっぱいですよ!まだ30前半ですから」

 瀬下はなんのことだろうと思いながら答える。


 俺は、あの薬を飲んだ後、今までの睡眠不足を一気に取り戻すかのように深く眠り、朝起きるとここ2週間程の記憶が無くなっていた。周りの同僚にそれとなく俺の様子を聞いてみたが、最近疲れた顔をして仕事をしていた、という位で特に変わったことは無いとのことだった。淡々と毎日を過ごす俺にとって2週間の記憶が抜け落ちてもさほど支障が無かった。ぐっすり眠れるようになって体調もいいので無理に思い出そうとせず、気にしないことにした。重要な何かを忘れてしまったような気もするが確認のしようが無い。

「そういえばさ、田島さんの娘さん、目は開けるようになったんだけど、話せないし、寝たきりだから胃瘻を作って今は自宅で寝たきりの状態らしいよ。田島さん、仕事辞めて娘さんのお世話するんだって。気の毒よね」

 横山さんは人の不幸を楽しそうに話す。どういう神経をしてるんだ。

「田島さんの娘さん、そんなことになってたんですか・・・お気の毒ですね」

 田島さんは他の階の病棟に勤務する介護士の男性で、俺が新人の頃に色々と教えてもらった先輩だ。年齢は俺の10歳くらい上だったと思う。

「何よ、前に話したじゃない。聞いてなかったの?」

「ええ、まあ。最近疲れてて横山さんの話、適当に相槌打ってたかもしれません。」

「何よ、それ!失礼しちゃう。まあ、いいか。あっ!幸三さん、あんなところにウロウロして、転ぶと悪いから瀬下君、食堂まで誘導して!」

 横山さんはさほど気にも留めず、俺に指示をし、俺もそれに素直に従う。2週間の記憶が無くなったなんてバレたら、病院中に広められてしまうだろう。


 数日後の夕方、俺は仕事を終え、帰路に着く。冬が近くなり、すっかり日が暮れるのが早くなった。

 車のエンジンをかけ、発進させる。

「雨が降って来たな。この時間、暗くて雨が降ると視界が悪いから事故らないようにしないとな。」

 家までの田舎道を車で走る。助手席においてあるスマートフォンから着信音が鳴った。

「誰だ?ん?非通知?」

 着信画面には番号は表示されなかった。運転中だし、無視しよう。

 スマートフォンに意識を数秒向けたその時、危険を知らせるアラーム音が車内に響くと共に、急にガガガッという振動がアクセルに置く右足に伝わる。自動ブレーキが発動し、車が急停止する。

「やべっ!よそ見運転しちまった。でも何にもぶつかってないよな」

 慌てて雨の降る車外に出る。車の前には赤い自転車が倒れていた。

「この光景、どこかで・・・」

 既視感を感じながらあたりを見回すと、誰もいない。この自転車は誰のものなのだろうか。

 誰もいない田舎道。イタズラなのか、持ち主のいない自転車を道路の脇に立たせ、車に戻りドアに手をかける。その瞬間、頭に強い衝撃を受ける。一瞬目の前が真っ白になり、直後、温かい赤黒いものが額を伝い視界を染めていく。そのまま顔面から地面に吸い込まれるように倒れ込む。遠のく意識の中、恨めしそうな声が聞こえる。

「お前があの時・・・」

 どこかで聞いたことのある男の声だった。

 雨の中、電線からその一部始終を一羽のカラスが眺めていた。その上空にもう一羽、カラスが飛んできて電線に止まる。


 人間には忘れてしまった方がいいこともある、と以前学びました。瀬下様は過去に囚われ抜け出せなくなっていたので、過去を忘れてしまう薬をオッド様にお願いしたという訳です。せっかく忘れて元気になられたのに残念です。

 おや、ルーク。あなたもこっちの世界に来ていたのですね。

 皆様には初めてご紹介しますね。こちらは相棒の「ルーク」と申します。私たちは2羽でオッド様にお仕えしております。魔力と引き換えに左眼を失ったオッド様の代わりに我々は見た物をオッド様にすべて伝えます。もちろん私が見た物とルークが見た物は2羽で共有してございます。2羽で1つの特別な相棒ですからね。

 ところで、ルーク、あなたはどこに行ってたのですか?

 え?あそこの男が、娘がなぜ倒れたのかわからず困っていたから私の見た物を見せてあげた?オッド様が「困った人は助けるように」と言っていたからって?

 せっかく、瀬下様を苦悩から解放してさしあげたのに・・・まあ、結果的には瀬下様もこれで永久に苦悩から解放されましたし、あの方も真相が知れて良かったのかもしれませんね。

 さて、次に観察する人間はどんな方でしょうかねえ。そろそろ行くとしますか、ルーク。

 2羽のカラスは翼を広げどこかに飛んでいった。

第一話:

第三話前編:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?