24時間テレビは感動できるか?

noteを始めてまだ間もないが、すでにたくさんのいいねをいただいた。
毎日note巡りをしているうちに読みたい記事(フォローさせていただいた方々の過去記事も含めて)がどんどん溜まっていく一方である。

書きたい気持ちはあるものの優先すべき用事が多かったりnote巡りに時間を費やしたりと時間の確保が上手くできない。時間の使い方が下手なのだ。

時間管理術のような本は何冊も読んだことがあるが正直あまり活用できていない。特別忙しいわけではなくむしろ暇なのだが、だからこそ時間を無駄にしているという自覚が大きい。時間管理の要のひとつであるタスク管理は忙しい人向けだったり予定用事がたくさんある人のためにあり、私のような人間には当てはまらない。とにかくメリハリをつけるのが苦手で、起きてから行動を始めるまでが遅かったり、休憩からなかなか戻れなかったり、いつのまにかぐだぐだとテレビやパソコンを見ていたりする私はどちらかというと怠け者から脱出する方法を見つけなければならない。noteの記事一つ書くだけに何時間と費やしていたら、いくら暇な私とて時間がいくらあっても足りない。早く対策を練らなければと思いながら早1ヶ月が過ぎてしまった。

明日は長男の通う小学校の始業式。通信大学生の私には関係のないことだが、これを期に生活をリセットしたい。
やらなければいけないこと(生活リズムを整える、勉強、noteの更新、自室の断捨離…)の他、やりたいこともたくさんある。それらを一つ一つこなしていくためにも時間術やタスク管理が自然に活用できるように身につけたい。


なんていうnoteを書きながら、今年もまた24時間テレビを見ていた。
我が家ではもはや毎年の恒例行事となっている夏の風物詩。昔は楽しみにしていたが、今ではあまり興味がない。(ちなみにあの頃はクリスマスと24TVの2日だけ夜更かしを許されていたため楽しみは倍増だった)
家族も同じようで何となく見てしまっているもののいい加減終わらせればいいのにと思っているようだ。
しょうがいしゃを取り上げ感動を誘うような演出、24時間マラソン(駅伝?)にも何の意味があるのかイマイチわからないし、番組(スタッフ/出演者のギャラを含む)に莫大な費用をかけておいて声高々とチャリティーと謳っているのもあまり好きではない。

noteではないがこのような記事を見つけた。

まさに24時間テレビは感動ポルノだと思う。
私は涙もろい方なのでどんなに演出がかっていても泣けてしまうのだが、だからといって泣かない人を冷たい人だとも思わない。

また、感動ポルノの多くは「苦難や挫折にめげずに頑張っている」という清く正しい人たちが多く映し出されています。
(上記サイトより)

私はどうにもこれが気に入らない。24時間テレビではしょうがいしゃの頑張っている姿を取り上げ、清く正しく、ひたすら前向きなイメージが印象付けられる。当然そんな人ばかりではないし、しょうがいしゃにだって悪い人はいる。健常者だってひたむきに頑張っている人なんていくらでも存在する。それなのにしょうがいというハンデがあるだけで特別なレッテルが貼られることになるのだ。

また、同じ立場の人間として、そんな頑張っている姿を見せられると自分が責められているような気さえしてくる。彼は彼女はあんなに頑張っているのに自分は何一つ成し遂げていない、と。現実を突きつけられるのだ。本当はそんなこと比べなくてもいいのかもしれない。それでも何かに一生懸命頑張っている人の姿は自分とは遠い存在に見えてしまう。

それに「頑張っている」と誰もがいうけれど、それは案外本人たちにとっては普通のことなのではないだろうか。そちら側の生活の常識からみて、しょうがいしゃには足りない何かがある。しかしそれがこちら側の普通の世界なのだ。そうやって育ってきたのだから当たり前で、当たり前のことを一方的に賞賛されても私なら正直イライラしてしまうかもしれない。

そういったことを忘れて純粋に見ることが出来たらとても素晴らしい番組だと思うし、確かに素直に感動できた部分もあった。
しかしテレビ離れとも言われている中、この大型番組は一体いつまで続けるつもりなのだろう。



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