見出し画像

思想について

フアナという文字に目が止まり、フィリップ4世の妻カスティーリャ女王フアナの本かな?と思い、読んでみることにしたが、17世紀メキシコで有名な詩人だった人の本であった。

スペイン語圏ではかなり有名らしい。

正直なところ、独特な文体でさっぱり読みにくい。

少女がお花畑を駆け巡るような、そういう文体なのだ。

しかし、宗教的、社会的に抑圧されていた女性としての思いの丈が全面に伝わってくる文章であった。

それも少女のようにフランクに軽やかにである。

言論の自由もなかっただろうに、こんなにバッサリ書いて大丈夫なの?というようなことも書かれてあるが、熱烈な支持を受けていたのは、イタズラした少女を笑って許してしまうような魅力が文にあったからだろう。

メキシコの歴史は疎いのでその辺の知識を充填してから、また読み返したい。

あまりの感想のなさであるため、一つ持論を述べたい。

本書からフアナは自分の思いを自分の言葉で思いのまま書いていた、ということが感じられて一つ思ったのが

自分の思いを書くこと、これはやはり大事だということ。

私も、フアナのような文才はないが、自分の思いを自分の言葉で毎日紙に書き殴っている。

書いていると自分がどのような思想を持っているのか見えてくるからだ。

自分自身の思想がどのようなものか、これを知っているのと知らないという差は大きいと思う。

思想は人を動かすからだ。

つまり、自分がどんな思想をもっているかで人生の方向性はある程度決まるのではないか。

自分の思想を知ることは、自分の人生の道標になる。

知らなければ、ブレブレの人生になる。

思想は凄まじい力を持ち、人を殺すのも容赦がなくなるほどである。

ものすごく極端な例になるが、
スターリンはNKVDという暴力機関を作り「革命の防衛のため」と容赦なく殺しまくった。

他にも、ヒトラー、ポルポト、毛沢東。

自分のもつ思想を絶対的に正義とし、正義に従って殺しまくった例は枚挙にいとまがない。

これらは極端な例ではあるが、思想が人間を突き動かす凄まじさが感じられるだろう。

したがって、

自分がどんな思想を持っているのか、

その思想はどんな影響を受けて至ったのか、

至るまでにどのような経緯があったのか、

これらに気づき、観察をすると、

自分を突き動かしているのは何か、ということが見えてくる。

思想の赴くまま生きる、浮かんだ思考や考えを無意識的に流す。

それだと人生がブレてしまう。

気づかぬまま、他者から刷り込まれることになる。

親が、先生が、友達が、あの人がこう言った、だからこうしよう。

SNSで流れてきた、テレビやラジオで宣伝されていた、新聞や本にこう書いてあった、というように。

自分の思想に気づかなければ、他者の思想を浴びるがままである。

これでは自分の人生を生きていることにならない。

自分自身の思想に気づく、これが自分の人生を生きる第一歩である。

そのために、私は書いている。

自分の思想を書きだし、整理する。

こうして今日も人生の道標を作っていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?